不定期連載 山道をゆく 第169話
04/11/27〜 大判山(庵選千名山318)、恵那山(日本百名山、信州百名山、庵選千名山319)、
富士見台(信州百名山、庵選千名山320)、
南木曽岳(日本三百名山、信州百名山、庵選千名山321)
【百】

11/27(土)
庵庵−マルエツ−R16−R413−R412−R20−相模湖IC−諏訪湖SA−塩尻IC
−R19−

11/28(日)
−R256−県道7号−林道大谷霧ヶ原線−萬岳荘…富士見台…萬岳荘−追分
…鳥越峠…大判山…恵那山山頂小屋…恵那山…山頂小屋…大判山…鳥越峠
…追分−萬岳荘…富士見台…萬岳荘−林道−R19−中津川市街地の百貨店
−R19−旧中山道−新茶屋

11/29(月)
新茶屋−R256−蘭駐車場−南木曽岳−摩利支天−男滝・女滝−蘭駐車場
−ホテル木曽路−県道8号−県道15号−松川IC−駒ヶ岳SA−諏訪湖SA
−八王子IC−八王子バイパス−R16−庵庵

−:車、…:歩き・走り

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愈々百を迎える。庵登山史第2章は間も無く幕を開けようとしていた。何処にしようか。未踏百名山は殆どが雪に埋もれていることであろう。あ、あそこは未だ微妙かもしれない。

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11月中に休日出勤が2度あり、代休が2日分残っていた。然し、1日分は辛くも風邪で失うことであろう。でも1日、何とか自分の意の向くままに行使したい。満を持して月曜日に休暇を採り、土曜日夜発のノンビリ夜行山行きも悪くなかろう。日曜の宿は何処にするか。HPを検索する。あの著名な宿場町も遠くはないのか。ふむ。民宿ならば左程高値ではない。然しながら電話すること数軒、日曜1人の宿泊と切り出すや否や、休業だの団体が入っているだの露骨に不快感を表すなど、都合3軒から宿泊拒否に遭った。まぁ良い。そんな宿には2度と関心を持たないことであろう。幸い4軒目に電話した新茶屋のおばちゃんはとても快い返事をしてくれた。宿は決まった。ふふ。山へ行こう。
金曜日は実はとある記念日だった。馴染みの寿司屋に寄る。寿司屋の癖にシャンパンを用意してくれていた。また、何だかんだで其の寿司屋お初のお客さんにも祝って貰った。中々悪くない記念日であった。其の翌日は久々にラーメンランを敢行する。餃子無料クーポンの新聞折り込み広告を頼りに風邪っ引きながら30分程軽く走った。ただ、広告掲載の季節限定麺は細く、庵好みではなかったのみならず、昼飯時で空席も少なくカウンターの隣にジャイアンが陣取ってしまった挙句タバコを吹かし始めてしまう。久々のラーメンランには心掛けが不足していたと悔恨に苛まれた。気を取り直してマルエツでワインを購入してから目的地へ向かう。晩飯後に未だ余力があれば、ワインを飲みながら読書なんてのも乙だろう。時間もある、高速料金も節約のため、偶には相模湖へ回ろうか。何時もの淵野辺交差点からの県道57号線を無視し、其の先の鹿沼台で左折。どうも途中で道を間違えたのか、ずんずん真っ直ぐ行けばか細い道になったが、やがて県道57号線に上手い事復帰していた。中央道も順調に進み、先日は鴨居界隈より廉価と思って入れた諏訪湖SAのガソリンスタンドが、今日は界隈より遥か高値で失敗した。其の後、塩尻ICで下車する。
さて、此処からが修行だ。長い長い木曽路の旅だ。R19は古の中山道、今は高速道がやや距離を置くため、陸上輸送の動脈として趣を異にして居る。深夜は乗用車の数が少ないため、トラックが目立つ、目立つ。山間部でドライブインも少ない。沿道の駐車場にも仮眠中のトラックの波である。トラックに挟まれて飛ばすことも出来ず、然も前回夏の御岳行脚時より更に南までこのR19のお世話にならなければならないと思うと、モノの数十分で気が狂いそうになった。数箇所、「遅い車は譲ろう」などとの看板が掲げられては居るのだが、追い越し車線も無いため全く効果が無い。今日の昼間は休みで十分休養を摂ったとは言え、深夜のR19運転は骨が折れた。漸くR256に逸れるも、路面凍結の懸念から思う様にスピードは出せなかった。馬籠峠を越え、神坂SAの下を潜る。林道起点に通行止めと脅す看板があるが、何処が進めないのか地名からでは見当が付かない。行けるだけ行くべ。駄目なら今日は南木曽岳に止めておくか。対向車があったらアウトと思われる細い林道を登る。舗装されているのが幸いであった。神坂峠付近に路面凍結も確認されるが、ゆっくりゆっくりとクリアした。何とか萬岳荘の駐車スペースに潜り込み、シートを倒して寝袋に包まった。
寒さで中々寝付けない。後で確認した所、関東近郊で冬型の気圧配置故に相当気温が下がったとのことで、岐阜県と長野県の県境が更に寒くならない訳がなかったのだ。ま、一晩くらいの寝不足なら山登りには影響しないので、眠い目を擦りながらもお握りを1つ食べてから出発した。少々寝坊しただろうか。否、寒過ぎて動きたくなかっただけである。朝焼けが眩しい。箆棒に寒い。富士見台に向かいながら、驚愕の事実が発覚した。手袋と思って持参したグレーの布切れは、実は靴下だったのである。軍手はタイヤチェーン装着用として持参したがボストンバッグの中に置いて来てしまった。ダメージは25ポイントを計上してしまった。辛うじて左手だけグレーの手袋をし、仕方なく、右手には暫く靴下を嵌めるしかなかった。寒い。振り返れば朝焼けの目映い恵那山が、、、と思っているうちに、ブワッとガスが立ち込めてしまう。むむむ、この時点でで恵那山など大展望が繰り広げられてしまったら、此処で堪能してしまいかねない寒さであった。山の神は敢えてこの地点でアントニオに大展望を与えなかったのであろう。お楽しみは是からなのである。斯くも簡単なお楽しみなら、要らない。山頂ガスに苛まれてガックリしながら下るも、また朝日が萬岳荘を照らし、そして眼前には魔白な富士がくっきりと浮かび上がった。富士見台、か。

萬岳荘に戻る。神坂峠から恵那山を目指すことも可能だが、第一ピークの上り返しを避けるため、追分へ一旦車で下ることにした。追分登山口前に、狙い済ましたかのようなインプレッサが1台停車していた。其の手前に頑張れば1台停められそうだ。ヨシ。インプレッサ氏はどう見ても山には登りそうになかった。何故其処に停めたのだろう、お主。
ガイドブック等では、神坂峠から第一ピークを経由すれば恵那山の雄大な展望を望めるとのことで、言わば「正しき登り手続き」であるかの紹介であった。其の代わりにアントニオは富士見台に寄ったのだが失敗した。恵那山本体へは追分から時短で到達し、展望はまた最後までお預けにしよう。追分からのルートは登山地図では点線区間だが、果たして点線区間に相応しい傾斜であった。既に富士見台迄で準備運動を済ませたアントニオにとっては左程の苦痛ではない。インプレッサ氏、もし後から登ってきてこの俺を追い越せるなら、馬籠で五平餅でも奢ってやろう。序盤から馬返しが如き傾斜だったが、富士見台のガスが嘘のように晴れ上がり、光合成全開のアントニオは30分の登り区間を20分で仕上げ、鳥越峠に到達した。程なく神坂峠から1人、初老のハイカーがやって来て、休憩しているアントニオの目の前を通り過ぎて行った。休憩後、すぐさま追い掛けては追い越したのだが、ぢつはこのオジサンには其の後一度も会っていないのが不思議であった。鳥越峠から恵那山へはルートは1本道のため、庵の復路で擦れ違う筈であったのだが、帰路の鳥越峠までに終ぞや会わなかったのである。途中で断念して引き返したのなら良いのだが。

鳥越峠からはやや平坦な道が続く。空のピュアな青さ。冬の山は、だから素敵だ。この空を見上げ、山に登る以外、何をすべきか。この青さの真髄の、より近い頂を目指すべきではないか。青天を褒めるなら山へ登れ。空はアントニオを惹き付けて止まなかった。次第に霜、凍結した雪が山道を覆う。帰路はアイゼンが必要だろうか。其の覚悟で臨んで来たのだ、何、申し分ないさ。何時しか青空の引力にまたアントニオは加速していた。大判山からの展望も著しさを増す。第一ピークからの眺めは如何程なのか。鳥越峠までまた下らされた者の僻みではないのか。此処からの恵那山は雄大だ。文句は無い。足元には霜、朝日、燃ゆ!後半失速したものの、4時間程のコースを2時間半未満で上り切り、前宮ルートとの分岐点に到達した。稜線周囲を樹氷が覆う。あの深田久弥さえ嫌った、恵那山開山ルートである前宮からの道は、今や廃道と化していた。

展望のない稜線を進むと、まただ、野生のカモシカが道を塞いでいた。11月28日だぞ。食い物が落ちているとは思えないのだが、其れ程飢えていると言うことなのだろうか。写真を撮ろうかと思ったものの、不用意に彼に刺激を与えて怒らせるのもいただけないため、断念した。争いは無益だ。やがて彼は立ち去ってくれた。

稜線上の一部区間でやや展望の利く場所がある他は概して植林に遮られているが、空の青さに全く遜色はなかった。山頂避難小屋を過ぎると、広河原からの安直ルートを利用したハイカーが大量に攻め込んで来ており、山頂で青空を慈しむ静寂を求めることは不可能であった。神坂峠からの林道は、広河原までの途中で通行止めになっていたのかと思ったが、園原側からは到達可能であったのだろうか。名古屋側にしか出入り口がない、関東の住民には利用し辛い園原IC側は非舗装で、災害に弱いと聞いていたのだが。広河原ルートの者は挙って「向こうは展望が良いか」と聞く。広河原ルートも駄目なのだろう。恵那山の山頂に展望を求めに来たのならさっさと帰り給え。青空を仰ぐことの尊さを知れ。

余りの喧騒に達成感も萎んでしまった。で、稜線に到達して気付いたのだが、命の次に大切な登山地図をどうも途中でポケットから落としてしまったらしい。また山に奉納してしまったのか。はたまた鹿の餌と化したのか。防水加工紙に鹿も食中りを免れないかも知れぬ。帰路は足元に目を凝らしながら地図の落下地点を隈なく探しながら進んだため、何とかアイゼンを利用せずに下ることが出来た。聖、光岳方面の雄姿が時々眼前に姿を現す。空は依然として青い。それにしてもこのルート、勿体無い。11月最終日曜とは言え、アントニオは今日最初で最後のルート往復者のような気がしてならない。大判山では名古屋在住で低山逍遥を楽しんでいると言うハイカーと少々話し込んだ。鳥越峠で追い越したオジサンは本当に何処に行ってしまったのか。神坂峠、神秘的と思うのだが今は選ばれた者のみの聖域と化しているのか。斯くして、庵登山史上、日本三百名山中百峰目を満了した。
矢張りインプレッサは消えていた。追分からまた萬岳荘まで車で戻り、早くも富士見台リベンジを試みた。神坂峠までの林道運転が億劫で、出来ればもう2度と運転したくはないと感じていたのだが、そうすると富士見台リベンジの機会は一生訪れないかと思うと、其れは其れで勿体無く感じていた。モノの30分で登頂する。おぉ、さすが。360°の大展望だ。富士を見たかった台、が山名の由来だそうだが、富士が直接見えなくとも良いではないか。御岳、乗鞍、穂高、槍、木曽駒、空木、八、仙丈、甲斐駒、悪沢、赤石、聖、光、、、萬岳荘から僅かでこの様である。信州百名山の一角を成すには資格十分だろう。富士見台からの似非パノラマ写真
今日登るべき山は登った。天晴れ。さて、下界へ降りるも、明日、どうするか思案に暮れる。明日予定していた南木曽岳を表す地図はない。中央アルプスを網羅するガイドブックも持参したのだが、辛くも明日予定していた南木曽岳が掲載されていない。中津川市街地で書店を見付けて地図が入手可能か、探りを入れることにした。其の前に、馬籠宿場街を通過して今宵の宿の場所定めをしておくことにした。観光客の屯する界隈を離れ、民宿新茶屋は馬籠の外れに存在し、一寸先は岐阜県であった。観光バスが訪れる余所行きの馬籠に対し、此処には古き良き馬籠が残されているように思う。静かで良いではないか。一旦宿前を通過し、中津川市街地へ向かう。大型の百貨店に入り書店を探すも、他の山の地図は存在したが、木曽駒や南木曽岳の其れは在庫切れであった。この規模の書店で見つからなければ中津川市街地に南木曽岳の地図を今日中に発見することは不可能であろう。諦めて遅過ぎる昼飯をフードコートで貪って、宿に戻る。
民宿の前の駐車場に停めたら、宿の親父さんだろうか、挨拶をしてくれ、生簀や畑を弄っていた。きっと今晩の食卓には其処の物が登場するのだろう。そう思うとワクワクしてしまう。日曜日1人の宿泊故に3軒程断られたが、新茶屋だけは快く予約を通してくれた。普通の民宿だが其れ以上は望んでいない。風呂は最近新調したのか、壁と床には大理石が散りばめられ、浴槽は総高野槇である。紛い物の温泉より癒えるのではと思う。で、予想通り夕飯は17時台で、しかも17時半を切っていた。私一人だけだからと、部屋に食事を全部運んで来て呉れた。4人掛けコタツを埋め尽くす1人前料理の皿皿。山菜の茶碗蒸しに天麩羅、岩魚の塩焼き、馬刺し、鹿肉と牛蒡の煮物、胡麻豆腐、ほうれん草の胡麻和え、南瓜と蕗の煮っ転がし、煮貝、蕎麦掻焼き団子、蝗の佃煮、枝豆、豆腐と椎茸のお吸い物、長野県の美味しいご飯。アサヒの瓶ビール。予想通り、予想を覆すバラエティに富んだ食卓。贅沢だな〜。山から下りて、最初のビール。昨日ラーメン屋で飲んだアサヒ生はマラソン後でさえ不味かったのに、瓶アサヒは正直侮れない味だ。美味な食卓。そして風呂は2年前くらいに改装して美しい。大理石敷きに高野槇の薫り高い浴槽。アントニオ1人のために沸かして貰った湯。小さな浴槽だが、密度の濃い贅沢。温泉ではないが、普段味わえない素朴な癒し空間が其処には存在した。食後にワインを飲みながら読書と思って持参したものは、今朝の睡眠不足が其の余地を奪う。さっさと寝るか。
余りの寒さに敷布団を3枚、また毛布も1枚は敷いて何とか寝付く。神坂地区の冬の朝は底冷えで休部号のフロントガラスは薄氷が張られていた。朝食の味も申し分なく、ついお櫃内のご飯を全て平らげてしまった。居心地が良く、つい長居をしてしまいがちだが何とか重い腰を上げて新茶屋を辞去した。来年2月の越県合併により、此処長野県山口村神坂地区は岐阜県に編入となってしまう。生活圏は中津川市となってしまうのは合点が行く。合併後の地名として「馬籠」が復活するとのことだが、神坂と記してミサカと読ませる地名も中々風情があると思うのだが。
昨晩ガイドブックを睨みながら、此処は登るべきかと色々と迷いながら、結局地図は無いながらも足は南木曽岳へ向かってしまう。今現在地図はない。地図を持たぬ者は山の神の逆鱗に触れても致し方あるまい。昨日まで幾度と無く地図を嘗め回した記憶を呼び戻しながら駐車場を発つ。檜、翌檜、朴ノ木、栂、高野槇、小羽団扇楓の林を縫う。途中から登山道と下山道に分かれるが、後々の感想だが下山道は急過ぎて危険に思う。晴れていれば何とかなるが、逆ルートの方が膝には優しい。とは言え、登山道の方は階段、梯子、鎖場など変化に富み、登り飽きないのがとても素晴らしい。恵那山が背後で見守ってくれている。そしてものの1時間半で登頂してしまう。南木曽岳山頂も展望がない。山頂碑の周囲には此処の標高を記述している手製看板が4枚。2枚が1679m、残り2枚が夫々1677m、1676mを謳っている。どれが正しいのだろうか。ただ、劔岳山頂の再測量の結果、従来の2998mよりは高かったのだが、矢張り3000mの大台には僅か1m及ばなかったことに比べれば些細な違いだ。だが、南木曽岳のお楽しみは是からだった。山頂を過ぎると山が拓けていた。

空がとても青いため、つい登ってしまった。地図も持たない不届き者が御岳と乗鞍の雪化粧を縦にしていた。パステルカラーの青空に浮かぶテーブル珊瑚。冷凍庫で凍らせたジョッキに注がれ、キンキンに冷え切ったシメイ。五億の星の鏤められた畑薙ダムの辺。気を失いそうな青空。御岳、乗鞍は白馬が如し。木曽駒、空木、南駒、仙涯嶺、越百、安平路、、、研ぎ澄まされた山嶺の美映に、体中から毒素が固化して行く。蒸発ではない。寒さで固まった毒の結晶をザクザクと踏み潰しながら、胸を張らざるを得なかった。凛として煌くダイヤモンドダスト。展望に恐れ戦くが、足元の霜には注意をしたいものである。


下山路は設置間違えのような急坂が続く。急坂は登るもの、と口酸っぱく豪語していたのだが残念ながら南木曽岳を目指す者は、下りに辛酸を舐めざるを得ないようだ。散策路の終着近くから分岐して滝へ誘う道があった。多分、今日訪れなければ一生見ることも無いのではないか、一期一会だろう。滝を拝むか。
駐車場から少々下って国道に戻ると、直ぐにホテル木曽路は見つかった。温泉が2箇所あると言う。派手なケーブルカーで赴く天上の露天は1,200円するが、館内のは800円で空いていると案内人は言う。館内とは言え、此方にも露天はあるとのことだ。この界隈で南木曽岳山頂付近未満の天上に大差はあるまい。安いに限る。館内に入り下駄箱にサンダルを入れようとすると、見ず知らずのオバサンが、今から温泉入るんでしょ、と有効期限が明日に迫った200円割引券を呉れたのである。を〜、ついてるついてる。幸い番台の死角で割引券の授受が行われたため、怪しまれず堂々と割引券で温泉へと突入した。この800円コースでも露天風呂が3種類もあり、森の青さを満喫するには申し分ない。600円の風呂とはとても思えない充実感であった。
風呂の後はあれしかない。蕎麦だ。本当か。嘘をついていないか。名前は失念したが出汁に味噌を混ぜて食べるものがこの地方に特有とのことで、蕎麦なのである。それから、何故かこの地で柿の葉寿司である。確か京都辺りの西の名物だったような気がする。後程熨斗紙の記述を呼んだところ、この寿司屋は奈良と此処でのみ販売を展開している模様である。風呂上りで気が抜け風邪がぶり返して味覚神経が相当麻痺してはいたが、折角だからと晩飯向けに一折所望した。9カン入りが割安だったが其の金額表示箇所だけ箱がない。恐る恐る売り切れかと問えば、5分くらい待って下さいと、厨房のお兄さんがどうやら握り始めたようだった。
観光バスが頻繁に立ち寄る大き目の土産物屋スペースのあるこのホテルの喧騒を尻目に、1人、1台、木曾峠を目指す。沿道には野生の猿が珍客を見下ろしていた。大平宿は現在無人化しているが、有志で不断の環境整備を続けており、清楚な佇まいである。ただ、この冬の寒々した空間での居住は食指が全く湧かなかった。飯田市街地までに擦れ違った車は両手で数える程だ。高速代を節約するために下道を駆使しようとするも、月曜は午後でやや気が抜けており、諦めて松川ICでギブアップをする。平穏な月曜日の昼下がりであった。

(完)

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付録:

山旅アドバイス
・白木屋、下柳屋、本三屋は1人客お断り。
・恵那山は後半凍結氷結の連続。軽アイゼン必須。
・富士見台は概して強風。それなりの衣類装備を。
・南木曽岳は登り易いが、下り坂が急過ぎるため注意。
・ホテル南木曽は入浴割引券付きの食事メニューが幾つか存在する。
食事を先にしなければならないのが辛いところ。