一番の冷え込み

不定期連載 山道をゆく 第146話
03/12/13 富士見山
03/12/13 富士見山(山梨百名山、庵選千名山255)
【一番の冷え込み】

12/13(土)
庵庵−仲手原−環状2号−保土ヶ谷バイパス−横浜町田IC−中井SA
−御殿場IC−R138−R139−R300−展望台−R52−平須・富士見山登山口
…富士見山展望台…富士見山…展望台…平須−手打沢温泉康栄閣−R52
−県道4号−R140−県道34号−あたりや−一宮御坂IC−八王子バイパス
−鵜ノ森−町田街道−中山駅−庵庵

−:車、…:歩き・走り

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やや消化不良を起こした蕨山行きを除くと前回の御座山から粗1ヶ月の月日が経過していた。駄々っ子のように山を欲していた。山餓死寸前のアントニオはただただ山頂からの深青な空に包まれる空間と戯れたかった。ガツンと深く青い空にまた吸い込まれたい。冬の澄んだ空気の向こうの白肌富士にも会いたい。山梨百名山の一角を今回も攻めるとするか。そんな最中、歩く本能氏より富士見はどうか、との勧誘である。富士が見えるに越したことはない。何処から見るのか、と思ったら富士見山と言う。おお、そんな山もあったのか。
富士見山は山梨県は南部に聳え、確かにメジャーな山域ではなく、昭文社の山と高原地図には詳細図が掲載されていない。中ア・南ア総図を持ち出してさえ、山の名前は掲載されどもコースタイムの記述が皆無である。あの30人が如く、地図なしの不届き行脚である。遭難したら今回は大人しく笑われるとするか。
歩く本能氏を早朝の妙蓮寺にてピックアップし、環状2号線を飛ばす。休部号は東名ヴァージンであった。保土ヶ谷バイパスからの東名高速進入もMMC山行中初事件なら、東名高速でETCを使うのも初めてで気合は入り捲くっていた。確か、紫色のゲートの下を潜った積もりだった。然し、気が付いたら1レーンずれており、ブースでじっちゃんが手招きをしている。クソっ、何のためのETCだ。戻る!と思ってギアをRに入れるや否や、大型トレーラーが退路を阻み、最早ブースのじっちゃんの餌食となるのは時間の問題であった。「バックは危ないから!」と半ば嘲笑の混ざったじっちゃんの素振りに、今日の旅の全てを失った気分である。買収工作も奏功せず落選の上逮捕されてしまった議員候補の心境だろうか。或いは、ヴァージ・・・の比喩は以前にも既に登場したようなので割愛させて戴く。じっちゃんに引導とともに渡されたような高速入場券を握り締めざるを得なかった。薄墨色の空は我が落胆に更に2気圧程の威圧を加えていた。あれ程楽しみにしていた横浜町田ETCぶっち切りである。何故、我がレーンはETC通信機を備えていなかったのか。痛恨である。朝から交通量の多い東名高速に旅情を失い彷徨いながらも、第2チェックポイント、中井PAへ到達した。SAPAの混雑メーターでは、しっかり混雑状態を示していた中井PAの駐車場には大型トラックが犇き、日本の物流を担う運ちゃんの休息の場と化していた。食堂に入ってまたもや逆襲を受ける。
ジャンボメンチカツが、揚がっていない。
ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない心境であった。朝5時台の中井PAは、トラックの運ちゃんと共に未だ眠りの水底から覚醒しては居なかった。東京風卵閉じカツ丼で何とか気を紛らわそうとは努力した。何故今更カツ丼なのか。カツ汁は当然甘辛く、ほろ苦い気分を容赦なく寸断した。ほろ苦さを助長する何かを求めていたと言うのに。ETC未遂にカツ汁だ。
朝焼けに憂鬱を浮かべながら休部号を転がすと、およよ、グレーの空中に一際光る富士が、我々を睡魔から呼び覚まさんとしていた。絵に描いた富士が見え隠れし、やがて我々は覚醒して御殿場ICへと導かれていた。
インターチェンジを降りると。R138の眼前に大スクリーンが登場した。失ったメンチカツを補って余りある様に壮大に聳える、ホワイトホース、富士であった。どうして斯くも貴方はデカいのか。雄大だ。ETC未遂なんて糞食らえだ。遠くのエベレストより近くの富士なのだ。富士は今日も泰然自若としていた。其の容姿だけで銭が取れる。大谷晋二郎のドロップキックのような切れ味だ。或いは誰もが予想だにしなかったジョニー・エースが三沢光晴との初めての三冠挑戦時に解き放ったメキシカン・エースクラッシャーの鋭さか。あれで三沢から三冠ベルトが移動しても何人たりともグウの音も吐けなかったであろう。今、彼は何処で何をしているのだろうか。ジョニー・エースと言えば、兄貴は言わずと知れたアニマル・ウォーリアー、嘗てロード・ウォーリアーズを結成した相棒のホーク氏は今年急逝した。冥福を祈りたい。このようにして、R138にはプチ渋滞が発生していた。先頭を走るダンプトラックが凍結路に配慮して速度を落としていたためだ。こんな時、苛立つのが素人である。苛立った素人の儚い行く末が、実はこの先に待っていた。郷に入らば、ダンプに従え。
時折見られる気温計に拠れば、氷点下3℃であった。そりゃ路面も凍結するさな。だがこの冷却は放射が原因だと思うと、ほくそ笑まずには居られなかった。キンキンに冷え切った生ビールが呼んでいる。山中湖畔には季節柄、戯れる人も疎らで、夏の喧騒をすっかり忘れていた。R300は路面凍結も甚だしく、停止未遂で自爆事故が寸前に発生していた模様で、目の前をノンビリ走るパトカーは現場検証に借り出されていた。人間は路面凍結よりは偉くは無いのだ。国道沿線の展望台からは南アの眺望も著しく、吐く息を白ばませながら北岳の白装束に見惚れていた。
R52から富士川に架かる橋を目指すと、一瞬にして霧立ち上り、秋の夕暮れとはならなかったものの、幻想空間へと吸い込まれて行った。渡っているのは三途の川ではないのか。此処は黄泉の国か。我々は未だ生きているのか。霧は数分で消え去り、晴天の下部路の1コマに舞い戻った。バイクツーリング向けの大雑把なロードマップしか持ち合わせておらず、登山口へのルートも一筋ずらしてしまったようで、1車線の整備の乏しい舗装路を数十分彷徨うこととなったが、何とか看板のある平須の登山口には到着出来た。
3台程の先客だ。うち1台は丁度支度中であり、どちらから来たかと尋ねてみた。休部号は可也喘がされたが、反対側北側からは割りとスムーズに到達出来る模様であった。また、JRが駅で頒布している観光パンフレットにこの富士見山が採り上げられており、もう少し其の初老夫婦との談義を重ねていればコースタイムも確認出来たのだが、まぁ良い、今日はとても暢気な山行だった。山頂から残り500m毎に指導標が存在し、地図無しの者でも遭難は難しいであろう。途中、清水が沸き出でていて老ハイカーが屯していたが、山頂からの呼び声に足を止める訳には行かなかった。
やがて、我々は存分の展望に果てしなく魅了されていた。寒い。気持ち良い。富士は今日も雄大だ。そして、南アルプス北部の山並みに息を飲む。東、富士。西、北。空翔る白馬の眉間に、我々は居た。
暫しの陶酔から我に返ると、意外な事実に現実感を呼び覚まされた。
団子の数が違う。
串団子型山頂碑は御座山にも存在した。向こうは長野県、此方は山梨県だ。越県団体の所業か。然し、御座山は漢字1文字1団子だったにも拘らず、此方は2文字1団子なのだ。団子文化の違いか。
展望台は山頂ではなかった。山頂へは30分程進まねばならなかった。ブナに囲まれて、眺望の無い山頂には哀れみを感じる。たかが山頂、されど山頂。
そして、この山にもあった。
プルタブが。
山からプルタブの残骸が一掃されるのは何時になるのだろうか。プルタブ記念日は存命中に訪れるのであろうか。地上に或る缶を、誰も覚えていない、人はプルタブばかり掴む。
此処最近の山下り時には走りが必須科目となっていた。来年3月のフルマラソン迄に太腿を鍛え上げて置かねばならない。そして今日もブルドーザーのようなアントニオが瞬く間に駐車場に戻り、暇潰しに今日も読売新聞を読み耽っていた。
下山後の温泉を何処にするか、思案を重ねた。日帰り施設を漁るか。偶には鄙びた温泉旅館を発掘すべきか。手打沢温泉に照準を定め、休部を転がした。句碑の里には思い思いの句碑が並べられていた。有償だが自らの詠句を刻むことが可能である。だが、林立する句碑の数の多さに、オンリーワンを目指すのは至難の業であった。R52を若干北上してはまた西側に逸れ、温泉を探す。鉱泉温泉との看板を誇る怪しげな旅館風の康栄閣が暫し我等を釘付けにした。駐車スパンには1台もない。貸切だろうと願って暖簾を潜ると、女将さんが脱衣場に暖房を入れてくれた。
浴場はタイル張りで残念ながら露天は存在しない。富士の代わりに裸婦のタイル絵と言う、銭湯モードの様相であった。温泉の適応症表には「慢性関節−リウマチ」、「慢性筋肉−リウマチ」、と書かれていた。また、「疲労回復」とも書かれていた。適応症として疲労であれば理解も進むが、疲労回復をどうにかして妨げてくれるのであろうか。風呂場にはあひるのおもちゃが数台並んでおり、お子さん連れには優しい温泉であった。
脱衣場のあの装置、部屋は一体何だったのであろうか。照射タイマーのようなスイッチが備えられている。小さめの木箱のような電話ボックス大の部屋内に椅子が一つである。中で日焼けでもするのか。風呂に来て日焼けなのか。はたまた放射能実験室か。ううむぅ。
腹も減り、駄目元で叔母さんに昼飯を請えば、夕方宴会があって其の準備のために何も用意してやれない、とのことであった。余りにも寂れていて我々が昼飯でも食べて少しでも収益を増やして上げようと思ったのは余計なお世話であった。
空腹を抱えたまま休部号はR52を北上した。街中に入るべきか。悉く入ろうと思った食堂は昼休みか休業中であった。散々迷った挙句、一宮町付近で一軒、営業中は間違いないであろう中華料理屋へ突入した。あたりやと言う。あたりやと言えば、某工業大学近隣に同名のとんかつ屋が存在し、其の名の通り当たってしまった者が数名居るとの伝説の店である。終ぞや其の伝説を体現することなく卒業してしまったのであるが、今日は体現しようとかそんな仰々しい意思は微塵も無く、ただただ空腹を埋めるには藁をも掴まねばならぬ心境で其の暖簾を潜る次第であった。注文したコロッケ定食にチャーハン向けのわかめスープが付随した。コロッケ定食には味噌汁だろう。中華料理屋とは言えども、、、そうか、此処は中華料理屋か、、、ブラウン管の中では、加賀まり子がクイズ番組でみのもんたと格闘していた。加賀まり子、頑張れ。みのの鼻をへし折ってやれ。
運転を交代して貰い、記憶が断片的にしか残っていなかった。何時しか中央道の渋滞も知らぬまま、R16の人となった。然し、R16の渋滞は何時も以上に勢いを増し、淵野辺住民の歩く本能氏による裏道深南部へのミステリーツアーが続いた。渋滞を避けることはとても大変であった。
(完)

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付録:

山旅アドバイス
・康栄閣の風呂にはアヒルのおもちゃが8台。家族連れok。
・路面凍結に注意しよう。
・地図は探そう。
・平須登山口から展望台まで2時間45分。下りは2時間程度。
展望台から山頂まで片道30分。コースタイム予想。