十二兄弟

不定期連載 山道をゆく 第133話
03/08/03 十二ヶ岳
03/08/03 毛無山(河口湖北、庵選千名山231)
十二ヶ岳(山梨百名山、庵選千名山232)
8/03(日)
庵庵−R16−どうしみち−R138−長浜…毛無山…八ヶ岳…十二ヶ岳
…六ヶ岳…毛無山…長浜−紅富士の湯−R138−どうしみち−R16
−庵庵

−:車、…:歩き

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ホリデーパスは値上がりし、鴨居から奥多摩や大月までの往復ではペイしなくなっていた。そもそも東京近傍の山域には粗方空爆も済んでおり、新たな山域を模索するには公共交通機関のみの利用では困難と化しつつあった。嘗て自らの運転を毛嫌いしていたアントニオが、最早不可避な状況に陥り自家用車を購入した。ぐずついた梅雨時に徒な衝動買いであった。
日曜日は久々に丑満時に起床し、エンジンを吹かせる。町田以北のR16沿道で営業中のガソリンスタンドの数が激減しているように思う。八王子方面進行方向左手側のスタンドで廃業した店、深夜営業のない店、、、交通量が減ったのだろうか。R413に合流する頃にはすっかり夜も明け、九十九折のアップダウンには辟易させられた。
山中湖面には赤銅色の富士が映えていたかと思った次の瞬間には朝靄に包まれてしまった。抜けるような青空は拝めるのだろうか。紅富士の湯前を通り過ぎ、R138を西へ快走し、河口湖大橋方面へ逸れたりしながら、同じ河口湖畔とは思えないひっそりとした長浜地区へ到着した。湖畔の駐車場に朝っぱらから屯するのは釣り客のみであった。ハイカーとは無縁なのか、登山口を示す指導標の気配すらない。
路地を数分彷徨っているうちに、何とか看板が見付かった。お寺に駐車場を借りて、早速スタートである。そしていきなり躓く。踏み跡が怪しい。このルートは藪化が進んでしまったのか。庵的感覚で道を発見出来ない程、其処は荒れていた。毛無山、十二ヶ岳と節刀ヶ岳への野望は早くも朽ちるか。此処でお茶を濁すなら王岳へ戦地変更とするか。10分程同じ所を彷徨い、諦めかけて王岳へ針路変更をしようと階段を戻ると、見落としていた指導標が踏み跡をはっきりと示していた。久々に短丈のトレッキングパンツで駆け出したため、向う脛は長丈の草木に擦られ放題ではあったが、踏み跡はしっかりしており、道に間違いはなかった。
スタミナ不足、トレーニング不足、聊かの急登、そして炎天下も手伝い、庵速は発現の機を伺ったまま、終ぞや日の目を見なかったように思う。フィットンチッドも光度も十分な筈だ。偶には速度を緩めるべきか。
1時間少々の格闘の末、稜線に踊り出でれば、今朝山中湖から見た赤銅色の富士はまた紺色に衣替えをしていた。河口湖と西湖の深い青。夏色に染まる富士と五湖。斯くも落ち着いた富士五湖は想像も出来なかった。周りには霊長類も存在せず、日は既に高いが静寂な夏の五湖を堪能するにはお誂えであった。オオバギボウシが朝風に揺れている。カワラナデシコに溺愛したのか、庵が近傍を通過しようにも花弁から一向に離れる素振りさえ見せぬ黄アゲハ。トリアシショウマ、カキツバタと低山にしては中々の花揃えに思う。夏はこれでなくてはいけない。草花の息吹が鮮明な夏。漸くこのフィールドに1年振りに戻ってきたような気がした。
ここにも毛無山が存在する。標高は若干1,500mジャスト。富士に河口湖に西湖。既に茹だる暑さだ。夏はこうでなくてはいけない。
さて、西へ歩を進めるとやがて一ヶ岳の看板が登場した。成る程、是が十二まであると言うのか。一不動、二釈迦、三文殊、、、と続く高妻山ファミリーの命名標準の足元にも及ばないが、十二までの適当なランドマークとなりそうだ。七ヶ岳の向こうはやっぱり八ヶ岳なのか。読みは「はちがたけ」なのだろうか。標高1,500程度の八ヶ岳。西湖の見える八ヶ岳。編笠山、西岳、権現岳、赤岳、硫黄岳、横岳、阿弥陀岳、峰の松目を総称して八ヶ岳と言う筈だが、其の何れよりも標高の低い八ヶ岳。八ヶ岳なんて山は実在しないと思っていた御貴兄には猛省を促したい次第である。
然し、続く九ヶ岳や十ヶ岳はどう観てもピークには非ず、其の品位の低さには残りの十兄弟が泣いてしまいそうだ。鎖場やロープ場が少々続いた。そして、十一ヶ岳に到着。毛無山から十二ヶ岳までのコースタイムの約半分で到達出来てしまったように思うが、実は此処からがアントニオ劇場本番幕開けだったのである。即ち其れはデインジャラスゾーンへのプロローグに他ならない。そろそろ軍手でも使わないとと思いきや、コンビニでバルク購入した其れを手に嵌め様とするもきつくて嵌らない。やられた。手袋は出発前に嵌められるかを確認しておくべきだった。後二着くらい家にある。其の二着も小さいのか。コンビニはアントニオに何を売りつけたのか。此処には返す卓袱台も見当たらず、怒りの矛先を何処に向けるべきか途方に暮れていた。怒りと共に道の傾斜は増した。どうしみちの九十九折運転直後で神経も疲れていたためかも知れないが、このロープ場は石鎚山の長い長い鎖場よりも更に長く感じた。西湖の北に埋もれた修行場だ。夏場の低山にしては歯応えは将に十二分であった。アントニオの他に修行を試みる者も見当たらない。
長かった。十二ヶ岳に到達したアントニオはすっかりバテてしまった。富士は相変わらず何も言わない。西湖の藍色の水面も然り。修行の成就記念にPeoPeoを所望したが、胃袋もすっかり弱ってしまい、吹かれる風にアンダルシアの香りを感ずることが出来なかった。静かな夏の朝であった。
未だ9時台である。節刀ヶ岳への野望は如何に。十一ヶ岳からのロープ場に辟易させられバテているのに、更にエネルギーを枯渇させてから戻るのはデインジャラス極まりない。アントニオは何時しか久々に弱気になっていた。PeoPeoも喉越しを駆け抜けなかったのが悪いのだ。節刀ヶ岳は逃げまい。もう少し、涼しくなってから訪れよう。
幾百かの呪縛から解き放たれ身軽になったアントニオの筈が、此処のロープ場は帰路もやはり骨が折れた。いやいや、歯応え逞しい。山梨百名山の未来も明るい。毛無山までに犬連れのオヤジと擦れ違ったが、頼むから鎖で繋いで欲しい。登山道は狭いのだ。不届き千万な爺にくれてやる挨拶の言葉もなかった。
10時過ぎの毛無山にはかなりの面々が屯していた。大丈夫っすか〜、と尋ねられた当本人は、大分落ち着きました、とタバコを吸い出す。勝手にしろ。アントニオより早く麓を出発すべきだったのではなかろうか。せいぜ頑張って十二ヶ岳を目指して欲しい。
往路に撮り損ねたヒメシャジン、ホタルブクロに誘われ富士を真正面に置きながらの下山も悪くはない。また擦れ違った中年夫婦が、何処まで行ったのかと尋ねてきた。十二ヶ岳でバテて、節刀ヶ岳はパスしたと言うと、あそこや鬼ヶ岳も面白いわとのたまう。何とも、黒岳方面から縦走した経験があると言う。其れがこの季節であれば、この中年夫婦は只者ではない。登魂の逞しさ甚だしき。また、今日は既に何人此処を登ったかとも問う。10人くらいと答えると、嗚呼、駐車場の車は相応の台数だったと言う。そんなこと言われても、庵が今日のトップランナーなので、其の後の駐車場の様子など知る由も無いのだが。

お寺の駐車場に戻ると、駐車車両は庵が発った時点より減っていた。即ち残りの自家用車メンツは文化洞トンネルの登山口付近に駐車させていたのであろう。帰庵後ノンビリ地図を振り返ると、庵の出発地点とトンネルとで標高差が軽く100mはあった。成る程、彼等はお寺からは登らない訳だ。

帰路は地図も見ず、適当に九部号を転がした。道を間違えたかと思ったが、方角は間違えてない筈だ。程無く国道に復帰し、紅富士の湯に寄る。昼時とは言え、駐車場には溢れ返る車の波である。幸いキャパシティーは十分のようで、洗い場で待たされることもなかった。今日は体を洗ってからは迷わず露天の温湯側の檜風呂桶に身を沈めた。日本人で良かった。

紅富士の湯を出て、どうしみちも序盤は滞りなく交通は流れていたが、三ヶ木より東側は、何時もの日曜夕方の其れであった。城山までは抜け道も判らず、渋滞にどっぷり浸かるしかなかった。車の宿命だろう。やはり運転には神経を使う。改めて、今迄運転して貰ったメンバには感謝しなければなるまい。

(完)

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付録:

山旅アドバイス
・毛無山から十二ヶ岳の間に、一ヶ岳から十一ヶ岳まで存在する。
  十一ヶ岳の先が異常に長い。
・鎖場、ロープ場多し。要腕力。
・吊橋あり。やや弱っている。1人ずつ渡ること。
・暑い。