武庫川の流れはココアの流れ。

不定期連載 山道をゆく 第39話
00/05/21 兵庫 武庫川渓谷
(不定期連載 グルメ街道をゆく 第16話 西宮・苦楽園 一松一)
【夕立】 
5/20(土)
夙川…植物園…一松一…苦楽園駅…夙川
5/21(日)
…夙川駅〜西宮北口〜宝塚〜生瀬…武庫川渓谷
…武田尾温泉 元湯旅館…武田尾〜川西池田
〜大阪〜新大阪〜新横浜〜鴨居…重成庵
(…:徒歩、〜:電車)
夕立である。
 
我々が店に入ってお好みを注文しているうちに、降り出してしまった。稲光までも。ゴロゴロ。
 
山道をゆく、もいきなりグルメ街道ではじまってしまった。それにしても何故、苦楽園にいるのか。そして何故、その日の昼は、屋内でチーズフォンデュを楽しんでしまったのか。
 
今回、MMCとしては初めての関西遠征であった。土曜日を心待ちにしていた関西支部のメンバーを恨むかのように、また、ジャンボ鶴田ショックを引き摺るかのように、空は泣いていた。金曜日の夜から泣いていた。
 
土曜日の午前中まではっきりしない天候であり、武庫川沿いで執り行われるはずのフォンデュ大会は知人宅屋内で開催されることになった。神戸と言えば、パンが旨い。そのほか、ブロッコリー、ジャガイモ、人参、ソーセージ、生ハムと鶉卵の数々が、横浜から持参した100円鍋の上を泳ぐ数種のチーズと遭遇し、瞬く間に各人の胃袋の深遠へと消えていった。
植物園の前ですじゃ。午後3時も過ぎてウソのように晴れあがり、手持ち無沙汰なアントニオを察した関西支部長が、夙川沿いを登っては植物園散策へと誘ってくれた。山ではないものの、園内の高台からは神戸のベイサイドが見下ろせた。きっと夜景も素晴らしいのであろう。
 
ちゃび、あれを見ろ!植物園で支部長の飼い犬チャビとフリスビーで暴れまわって概ね手持ち無沙汰を解消し、さて晩飯であった。ここでアントニオの強権発動で、お好み屋行きに相成った。
看板の「ジャンボお好み焼き」という文字が文字通りデカく、どれが店名だか判りにくかったが、多分、一松一というのだろう。支部長ファミリーからは、玉がでかいと太鼓判を推されたことに相違なく、その大きさはこのアントニオさえも満足させるものであった。
 
でもこの店、関西では珍しく、「自分で焼かせてくれへん」店なんや。関東人なら、「関西にして焼いてくれる」店である。そして、すべてのものが、ウェルダンで出来てくるんや。だから、俺はミディアム・レアがええねん、思うたら、注文時に言わなあかん。覚えときいや。
そして、オムそばの量に、貴方は平伏すことだろう。しかしながら、まだ早い。メニューには、2千円を超える「ジャンボお好み」、そして、4千円を超える「デラックスジャンボお好み」まで用意されているのだ。このメニューによって、我々に一体何をしようと言うのだろうか。だが、間違いなく、我々人類の未来は、夢と小麦粉で一杯だ。
 
食べながら、今日午前中に未遂だった武庫川行きを、明日天気が良ければ決行しようと打ち合わせた。当然ながら、武庫川渓谷散策大会実施の有無は、ニッポン放送で日曜の午前7時半にオンエアされるだろう、と言って、苦楽園駅に皆を送る頃には、既に雨も上がっていた。
 
さて、日曜である。
予定より若干遅れてニッポン放送でブロードキャストされたように、決行である。昨日の夕方に引き続き、好天どころかかなり気温も上がりそうである。
 

夙川駅まで走り、西宮北口で乗り換え。宝塚行きの電車は、競馬野郎達と遠足チルドレンなどでかなり賑わっていた。果たして西宮北口駅に北口があるのだろうか?

 
宝塚でJRに乗り換えだが、御多聞に漏れず、関東と変わらずお年を召した方々が思い思いのザックを背負い、嗚呼、やられた、彼等も同じ処を目指すのか、と思うほど、新三田行きの電車を待った人の9割ほどが、隣の生瀬駅で下車していた。丹沢と異なって、他に行く山もないのだろうか。
 
小さな生瀬駅は、ザッカーで賑わっていた。ラジオ体操をする者、地図を広げてメンバーに説明をする物、携帯で仲間に連絡を取っている者、空を飛ぶ者、川を泳ぐ者、前方回転する者など、これだけの人数が果たして武庫川渓谷まで車に轢かれずに辿りつけるのだろうか、不安なほど、お年寄りで埋め尽くされていた。
 
車道沿いの狭い歩道を8分ほど歩いたのであろうか、かなり簡単に、福知山線の廃線跡に辿り着いた。福知山線は、1986年に宝塚以北の電化(複線化も?)に伴いトンネルを貫く現在の線路に切り替わり、かつての渓谷沿いの線路は、ハイカーなどの要望によって鉄橋などが残されているのである。
それにしても、人を見に来たかの如く年配の集団が多かった。廃線跡のルートは意外と狭く、追い越しもあまり容易でない。武田尾まで彼等の後を追わねばならんのか。
 
これが武庫川よ!ほどなくしてトレイルは、武庫川の脇に辿り付いた。以後、武田尾まで武庫川と一緒である。武庫川の流れはココアの流れ。昨晩の雨でやや濁っているものの、水音というものは放っておいても我我の耳を魅了してくれていた。

暑い。暑かった。歩けども歩けども上に登らず。行けども行けども視界の先の風景の標高はほとんど変わらず。いつもと違う。沿岸の山並みは、確かにさほどの標高ではない。しかし、何時まで経っても山嶺を見上げ続けねばならなかった。尾根や山頂から見下げることに慣れ過ぎていた。川は低い所を流れるものだ。至極当然だ。

 
涼しい。涼しかった。ヒンヤリトした闇の中であった。トンネルである。トンネルには灯かりが全くない。そして、涼しい。閉所恐怖症の方には厳しいトレイルである。
 トンネルの中は、暗かった。さぁ、トンネルだ。
アントニオは何故か疲れていた。いつもと比べればアップダウンが全くないのに、である。いつもなら、歩くに連れ太陽からより多くのエネルギーを吸収することができたものであったが、渓谷にはアントニオ標準の光量が不足していた。トンネルもあり、なかなか光合成するのが難しかった。

それでも、保津峡のように、トロッコ列車でも走らせればゼニが取れそうな、今となっては歩いてでしか見ることの出来ない、隠れた風光明媚な光景が目を奪い続けていた。

in front of the Muko river昼にもなり、川岸に降りて水面を眺めながら昼飯を摂ることにした。今まで登場しなかった訳ではないのだが、川岸の岩場にまでも、毛虫、青虫等が仰山這っていた。トレイルで余所見をしながら歩を進めれば、ほうら、目の前にぶら下がっている。彼等は下りたいのか登りたいのか定かではないが、枝からは遠い、糸の途中。お主は武庫川のインヴェイダーなのか?否、インヴェイダーと言われるべきは、我々人間のほうである。彼等の聖地を侵すものには漏れなく、毛虫、青虫の冠が贈呈されることであろう。こうして、渓谷美に目を奪われ心洗われながら、というには程遠い、今日の昼飯であった。
 

いつか、見た道。

 
青い空に割と雑誌を飾る機会も多いこの武庫川、あの写真のポイントは、さて何処だろうか?カメラマンもいた。あれは数年前、青春18切符のポスターのロケ地を訪ねに、各駅停車などを乗り継ぎ、三昼夜ほどかけて釧路へ赴いては、釧網本線沿線グルメを食っては一駅歩いて腹ごなし、を繰り返したものである。お盆過ぎの北の湿原地域は気温が一桁台まで下がり、半袖Tシャツだけでほとんど屋外に居るに等しいライダーズハウスで凍死寸前になりながら3泊もしたものだった。
こんな思いを巡らせているうちにようやく民家が見え始めた。武田尾は、町なのか?と疑うほど建
物の数は数えるほどでしかなかったが、またこれも興あるものなれ。
駅は複線化と共に新しくなったのだろうが、周囲には何もない。温泉までは10分ほどの歩きが必要だ。日帰り温泉客専用の施設はなく、旅館の内湯になる。3軒のうち、知人がマーケチィングを行った際に一番応対の良かった元湯旅館に決めた。
通された湯場にはジャグジーはおろか、シャワーもついていない。露天ではないが窓を開ければ武庫川縁の緑を堪能できる。近代化してでも若い客を呼びこもう、という姿勢が微塵すら感じられないところが魅力的である。何しろケロリン洗面器があるのだ。恐れるものは、何もない。ただ、その色が、お馴染みの黄色でなく、激しく色褪せてしまったかのような、やや薄い肌色をしていた。新種なのだろうか?本当に色褪せてこうなってしまったのか?こうして、ケロリン洗面器史に新たな一ページが刻まれた。
温泉から上がると、団体客がロビーに集っていた。おや、聾唖者が手話をしているではないか。こ、これは、第二外国語として仏語を選択した私がカナダ出張の折に夜のCNタワーを訪れたとき、仏語ネイティヴな観光客が騒々しく通り過ぎたシチュエーションに酷似している。あの時は単語の一つすら聞き取れなかった。しかし、多子化にあれはフラ語であった。そしてMillenium4月から手話をはじめた私の目の前で、烈火の如く手話が飛び交っていた。誰と誰が会話しているのか。あまりにも人数が多く、あまりにも人数が多かった。しかし、私には判った。「時刻」、そして、「酒を飲む」が。これで私も聾唖車と杯を交わすことは可能である。バイリンガルへの第一歩であった。
生ビールの用意こそ目に付かなかったが、自販機には神戸地ビールが置かれていた。次回は、神戸地ビールに記憶を失いに来たいものである。
武庫川のせせらぎの中、湯上りの者がとぼとぼと武田尾の駅を目指して行った。平和な昼下がりであった。武田尾の駅では、トレッカー目当てに2人ほどの臨時切符売りが立っていた。恐らく、その日最初で最後の発売であろう、横浜市内行きの乗車券を買って、8割方トンネルに埋まった武田尾のホームの人となった。到着した電車は、ひょっとすると、昔京浜東北線として走っていたものかもしれない。電車は武田尾のホームを去り、軽快にトンネルを抜け、武庫川を後にした。

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付録:

山旅アドバイス
・かなり長いトンネルあり。ライトは必携。
・主に砂利敷き。枕木は等間隔でない。下駄、サンダルは不適。
・沿道にベンチは一切ない。敷物があると便利かも。
・武田尾温泉は、武田尾駅から武庫川を対岸に渡った3件の宿が外湯を扱っている。
  料金は一緒らしい。外湯時間は電話などで確認する必要がある。