飛ぶが如く

不定期連載 山道をゆく 第164話
2004秋プチ縦走I
04/09/18〜 西岳(庵選千名山304)、蝶槍(庵選千名山305)、
蝶ヶ岳(信州百名山、庵選千名山306)
【飛ぶが如く】

9/18(土)
庵庵−GS−町田街道−相模原−八王子バイパス−八王子IC−
諏訪湖SA−松本IC−R158−沢渡岩見平駐車場=上高地…明神
…徳沢…横尾…槍沢ロッジ…乗越沢…水俣乗越…ヒュッテ西岳
…西岳…大天井ヒュッテ(…大天井岳未遂)

9/19(日)
大天井ヒュッテ…大天荘…常念小屋…常念岳…蝶槍…横尾分岐
…蝶ヶ岳ヒュッテ…蝶ヶ岳…蝶ヶ岳ヒュッテ…横尾分岐
…槍見台…横尾山荘

9/20(月)
横尾山荘…徳沢…明神…明神池…河童橋…上高地=沢渡岩見平
−諏訪湖SA−八王子IC−八王子バイパス−相模原−町田街道
−庵庵

−:車、=:バス、…:歩き・走り

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
あの鳥は果たして飛ぶのだろうか。
羽をばたつかせ、ただただ重力の赴くままにパラグライダーが如く、下っているだけではなかったのか。
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もう少しゆとりがあると思っていた。だが、先日に比べれば生温い。22時台の電車に乗って帰宅出来ているのだ。然し、あれよあれよと準備は滞り、ガソリンスタンドでは空気入れの使用に四苦八苦し、町田街道にはノンビリ車が罷り通り、G氏を拾えたのは予定より15分程遅かったと思う。前回は上里SAまでは気合で運転したものの、今回の諏訪湖SAまでは少々危うい運転であった。無事で良かった。そう、G氏と相模原で落ち合って開口する間もなく、山岳地図を自宅に忘れたことに気付く。G氏も会社に忘れたと言う。だが、諏訪湖SAの雑誌売り場の棚には何と、槍穂高の山岳地図の最新版が並んでいるではないか。槍穂も愈々メジャー入りだ。諏訪湖SAの取扱商品の選択に間違いはない。夜中の2時台にして、何とか命の次に大切な物を手に入れた。諏訪湖からは運転を代わって貰い、松本ICで高速を降りる。時間帯の問題だろうか、連休初日の未明はもう少し交通量がありそうなものだが、今日は大分少ない気がする。擦れ違う走り屋の数の方が断然多い。だが沢渡地区まで突入すると、満車の駐車場看板もチラホラ見受けられた。特にポリシーもなかったが、此処まで来てもう打ち止めと思い、沢渡岩見平の村営駐車場に車を止め、短い間だが仮眠を貪った。
時刻表の5時半から運行の文字に違い、5時半前にして既にバスは動いていた。往復割引券を購入し、次のバスを待つ。沢渡地区の上流故か、既に下流地区からのハイカーで粗満席である。一つ前のグループが座り切れないとの事で譲って貰った僅か残席2を頂戴し、低公害バスに揺られた。ラッキーであった。駐車場到着時に見上げ、粗一年振りに其の満天振りに感動を覚えた星空を露知らず、上高地周辺の空は聊か灰色の様相を拭い切れて居ない。G氏の直前に調べた天気予報では余り芳しくはないとのことであったが、此処まで来てしまったからには運は天に任せるしかない。
釜トンネルは全線複線化に向けて工事が進められている。即ち、現釜トンネルより山側に、もう一本のトンネルが掘られているのだ。新トンネルには間違いなく歩道も整備されるであろうから、嘗てのトンネルダッシュも再生不能な伝説として語り継がれることであろう。
上高地バスターミナルの各建造物の改修が進んでいる。小奇麗なビジターセンターは既に開館している。バスターミナルと土産物屋舎と思しき建物は未だ白布に囲まれていた。朝も6時早々、何処から湧き出したともつかない数多の老々男女が、体の動きより口の動きの方が軽やかであり、準備運動もろくに進んでいない者も多い。岳沢から前穂、或いは此方側から焼岳を目指すのでない限り、少なくとも明神までの約1時間はとても平坦な道程だ。この平坦な道を歩くことが準備運動代わりになると思うのだが、彼等の戦場は小梨平から直に始まってしまうのであろうか。夏山に忘れ去られてしまったかのようにシオンが其の自らの存在を訴えていた。
1時間コースを40分から45分程度に収めながら拠点間を進み、翌日の宿、横尾山荘前に到着する。此処から上高地まで11km、槍までも11km。今日は槍を目指すG氏にとっては中間点である。改装されて目新しい山荘に明日は存分寛がせて貰えると思うと気も緩んでしまう。山荘は山荘とは言え、予約定員制となっている。予約さえすれば押し込まれることはないのが安心だ。今晩は数日前から既に満室だったのだが、連休2日目の晩にこの低地の宿の敷居を跨ごうとはだいぶ乙な選択だったと思う。

さて、上高地からの登山は4度目にして、初めての槍沢行脚であった。小1時間は未だ未だ傾斜は緩いが道は細い。横尾を過ぎて梓川のざわめきも65dbを越え、緊張感と不安を駆り立てていた。未だ踏みも見ず得体の知れない道であろうが、今日の行程はコースタイムにして未だ7時間近くもあるのだ。7時間と言うのも絶妙であり、乗越沢から水俣乗越までのコースタイムを手元の資料からは割り出すことが終ぞや出来なかったのである。槍沢ロッジから天狗沢分岐まで1時間40分。乗越沢までは1時間である。水俣乗越のルートは悪天時のエスケープルート、と何処のガイドブックや地図にも載っているのだが、悪天時に果たしてどれだけの時間を費やさねばならないのだろうか、何処にも記述がない。出発までは差し引き40分程度と高を括っていたが、目前にして、いや、あの距離にして2時間程度の拷問ではないのかと、不安を急激に募らせていた。槍沢ロッジまでは抜群の好調ペースでG氏と共に歩んできたが、メニューに掲載されている生ビールが未だ提供されていないとは如何なものであろうか。槍沢の水力発電で動く自動販売機にて止む無く購入したスーパードライの冷え振りに少し頬を緩まされ、暫し未測のコースタイムへの不安を忘れてしまう。だが、陶酔も空き缶と共に去りぬ。長期戦に不安はぶり返し、此処で互いの無事を祈ってG氏と別れ、先行する。沿道ではキオン、ヤマハハコ、シシウド、ウラジロタデなどがひっそりと秋を待っていた。キャンプ場の水場で喉を潤し、あの尖がりの雄姿を見上げながら歩を進めた。今日の俺にあの尖がりは無用なのだ。あまりにも乙過ぎる。新穂高側だろうが槍沢側からだろうが余裕でその日の内に槍ヶ岳へ到達出来る。然し、俺は水俣乗越を右折するのだ。槍未登頂のハイカー諸氏からは阿呆呼ばわりするかも知れない。だが既に私は槍第一章を卒業しているのだ。俺を阿呆呼ばわりするならば俺より速く歩いてみろ。槍の他に幾つの山があると言うのだ。乗越沢で間違いなく槍を目指す休憩者の視線を尻目に、アントニオは威風堂々水俣乗越を目指す。コースタイム2時間はあっても頷ける程の急登だ。暑い。休もう。誰一人として擦れ違いもせず、追い抜きもせず、当然なのか、追い抜かれもせず。迷うことがないだけ救いか。此処で倒れても数ヶ月は発見されないと思う。本当にこのルートを利用している者が居るのだろうか。水俣乗越からも今日の道程はコースタイムにして4時間もあるのだ。乗越から西岳までがまた険しそうである。此処でくたばる訳にはいかないのだが、くたばるに値する要因が蔓延り、誰にも気付かれずに喘ぐしかなかった。途中で長めの休憩を執る。こんな時、頼りになるのがでん六豆である。♪でん、でん、でんろくま〜め〜、うまいまめ〜だ〜か〜(以下略)の連歌をご存知の世代は30代以上かと思うが、豆による蛋白質補給に最近余念のないアントニオが、数十年埋もれ続けた金鉱を思い出して掘り起こしたが如く感慨である。栄養分析的パフォーマンスに優れているかは確認未遂ではあるが、糖衣による甘さと豆のハーモニーに、パッケージの謳い文句「一粒たべたらやめられない」に偽りなしと確信した。庵山の行動食として今後重要なポジションを占めることは想像に難くない。暫く進むと、あれ、道標ではないか。乗越か。あれ。あれ。50分で着いたぞ。何だ。何だよ。そんなに難しくはなかったよ。何だよ。へへ。高々エスケープルートだもんな。そんなもんだよな。

人里離れた界隈にして紅葉もやや美しさを増している中、大分計画以上に進行が進んで弛緩し休憩している間に、挨拶の出来ないオジサンに追い抜かれた。独りで東鎌をやる人は、庵並みの体力保持者なのであろう。体力があるなら挨拶しれくれても良いと思うのだが、まるで余所者に東鎌を踏まれたかの如く叫んでいる仏頂面であった。ガイドブック等では急登の脅しが散乱する中、案の定ソフトクリームの巻きが如く登りが続く東鎌尾根である。展望が開けると水晶や鷲羽が覗く。常念は笠を被っている。あとは燕や西岳が僅かにガスの手前に姿を現しているのみだ。気を紛らわせながら、この程度は急登ではない、ない、ない、と思いながら無心に歩くと、おぉ、何だ、凄いぞ、昼前にヒュッテ西岳到着してしまったではないか、我ながらやりおる、祝杯だ、生を寄越せ、そう思ってヒュッテのアルバイターに問いかける。メニューにきちんと生の記載があるにも拘らず、「ないです」の釣れない返事しか返ってこなかった。メニューにあるのにないとは如何なることか。申し訳ないと思わないのか。俺を誰だと思ってるのか。別に泣く子も黙るアントニオだからと言ってるのではない。俺は一介の客なのだ。貴様は店員なのだ。うむ。ヒュッテ西岳には泊まりたくないと思いながら仕方なく缶ビールを注文すると、今度は偽麦茶ではないか。この糞餓鬼め。だが、ビール指数は既に500を軽く越えており、何でも良いから冷たいものを欲していたアントニオは、冷蔵庫でごっつう冷えた偽麦茶に不覚にも癒されてしまった。先程のオジサンが携帯で仲間と連絡を取っているようである。携帯での連絡を当てにする行動計画は如何なるものかと思う。携帯圏は其の時の天候に依存すると言うのに。このオジサンも大天井まで行くのか。同宿は避けたいなとは思いながらも、少し進むと、庵地図には掲載されていない、西岳山頂へのルートが存在するようなので寄ることにした。

西岳と言っても、何の西を指しているのだろうか。常念の西の意なのであろうか。此処の西にはあの尖がりが、今日は雲に隠れて居ない。ウラジロナナカマドは既に色付き始めたものが多数存在するも一面のグラデーションには未だ時間が必要である。さて、山頂から大天井方面へのショートカットが存在するであろうと登った道を戻らず、其のまま北へ踏み跡らしい箇所をなぞってみた。数十歩で先行く踏み跡を失い、進退窮まれりと思いながらも、少し藪を漕げばまた先に鮮明な踏み跡を見付けることが出来た。また数十歩。また進退窮まれリ。西側に少しでも崩れ落ちればゲームオーバーである。東側はハイマツが茂り、足元に大きな不安を残す。天下分け目の新喜作新道合戦だ。戻るか進むか。今日の天候では雷雲は避け得たものの、次なる刺客が待ち受けていたのだ。十数分、ハイマツとナナカマドに何度もゴメンナサイしながら、正規の喜作新道へと合流した。だから道を作ることが必ずしも100%英雄視されるとは限らないだろう。でも先人は、木々を切り倒して道を作ったのだろうけど。。。

其の後の喜作新道は左程の困難を齎さず、北へ伸びていた。ビックリ平の地名は如何にして付与されたのだろうか。安直過ぎる。然し、喜作氏がビックリしてしまったのなら、私もビックリしてみようか。
色付き始めた山肌の中、僅かに放たれるオヤマリンドウの灯火を感じれば、大天井ヒュッテはすぐであった。13:40。思ったより小さいなぁと思いながら記名申し込みをしていると、今日の晩飯はトンカツとの掲示が揺らぐ。何だ、魚料理と肉料理を選択出来るのではなかったのか。間違いなく魚料理を出して貰おうと狙っていたのだが。山小屋にして料理の幅を広げるのはリスキーかも知れないが、、、トンカツに非は全くないのだが、、、何か山小屋の山らしい食卓を期待していたのだが、、、関越道は埼玉県内のSAで蒸かし饅頭を買おうとし、「是は横浜の中華街で作られたのよ」との売り子の言に衝撃を受けたのと同程度のショックであった。確かに山小屋で油の処理などを考えると、揚げ立てのトンカツ提供も生易しいものではないかとは思うが。周囲は雲に覆われつつあり、当然電灯も点いてない部屋は暗く、ノンビリ読書でもと思って持参した新書には目を通すのも億劫になった。また、ヒュッテの主人も明日はもっと天候が悪化するとのことだから、大分疲労は溜まったものの、今日中に牛首展望台、若しくはあわよくば大天井岳も掌握していた方が無難かと思い、ビール休憩後、また表に繰り出した。
ガスが急速に立ち籠め、急登を伴う牛首は、展望台方面すら行方不明である。然らば大天井か、と思い、灰色の雨模様の中をまた更に標高を上げて進む。すると、ぽつり、ぽつりと雨滴が落ちて来た。むむむ、今日は是までか。数分歩くも其の勢いの留まるを知らず、諦めてヒュッテに戻る。
やや明るい食堂で読書をし、飽きれば床で仮眠し、晩飯までの時間をノンビリと過ごした。晩飯時には恒例と思しき主のプチ講談であった。槍ヶ岳山荘が未だ開設されなかった時代の著名山岳家による槍登頂の記念写真葉書きの説明と、大天井の読み方について。元々天守閣の様な風体から其の文字が充てられたようだが、山の名前は一般に「おてんしょう」と地元の「だいてんじょう」の2通りの読みが存在する。因みにこのヒュッテは「おてんじょう」と読ませるらしい。そして大天井岳直下の町営の山小屋は大天荘と書いて「だいてんそう」と読ませるようだ。統一して欲しいなどとは思わないが、今一度、『試験に出る北アルプス』を読み直してみようかと思う。予約時にも連休だろうが左程混まないとの言を聞いたが私の想像よりは宿泊者が多かったものの、一畳につき1人と山小屋としては快適な部類であろう。晩飯後、トイレと歯磨きの後はすることもなく其のまま床に就く。
夜が明けた。予想通りの空模様である。主は明日の天候が良かろうが悪かろうが朝飯は5時だと豪語していた。朝の食卓にはしっかり魚の甘露煮が載っていた。晩飯とのバランスのためだったか。ううむ。美味しく朝食を頂いたものの、さて、気が進まぬ天候だ。雨続きなら往路を引き返すのが最短ルートではあるが、雨中にあのルートを戻るのも非常に億劫である。ならば賭けるか。途中で天候が回復したら儲けものだ。やってしまえ。コースタイム11時間だろうが俺の足だ。いてまえ。と思いながらも渋々と雨具の準備をし、多くの者が今から喜作新道を目指すようだが構わず昨日途中まで進んだ大天井岳への道を選択した。
昨日も感じたのだが、気重も手伝ってか、大天井岳に向かう道の傾斜に難儀を覚えて止まない。そんな苦悶の中、とある事件が起こった。雷鳥発見である。4羽程居る。しかもうち3羽が飛んだのである。羽ばたいたのである。風に煽られて流されたと言うよりは、羽をばたつかせ重力の赴くままパラグライダーが如く舞った感じだ。飛んだと呼んで何ら不都合はなかろう。彼等はガチョウのような濁声を発している。成鳥だろうか。小雨がぱらつく中、是は見逃すまいと思ってザックに仕舞い込んだデジカメを急いで取り出しては何とか数枚の写真を撮り収めたが、羽ばたいた瞬間にシャッターを切ると空しく電池切れの顛末である。自然界では雷鳥の飛行姿は撮影禁止となっているのかと納得した。この天候だから往路を素直に戻ると言う、余り気の進まない選択肢も考えられたが、雷鳥は舞ったのである。当初の予定のコースの途での雷鳥の振る舞いに、験担ぎと信じて其のまま進むべし。そう、天の声を聞いた。
途中で雷鳥撮影の手間の時間もあったが、大天荘まで粗コースタイムとは本日序盤にしていきなりの躓きと思う。大天荘天場も慌しい。小屋内も然り。小屋内を少し覗いて見たが、此方の食堂の方が小綺麗に見える。次回は此方に停泊してみるとするか。大天井、か。此方の山荘でも攻めるか否か、決めかねてウダウダするハイカーも未だ大勢残っていた。そんな中、玄関の軒先で雨宿りをしながら行動食を少々口にした。この天候の中、でん六豆はIWGP級の美味さを誇っていた。何はなくともでん六豆である。
でん六豆で若干のエネルギーを補給しながら、常念を目指す。この天候だ、大天荘から10分の大天井岳に登って何が見えよう。此処は何時かまたリベンジしなければならない。常念へ向かう稜線は、起伏も少ないのが幸いで、ぐずついた天気の中、足取りは割りと軽やかであった。幾つかのパーティーを追い抜きながら、果たして今回常念への怨念を晴らせるのか否か、訝りながらも回復しつつある天候に一縷の望みを託す。数十分後、雨が上がった。天は我に味方した。風の中雨具を乾かした後、畳んでザックに仕舞う。雨が止めば万々歳、常念リベンジならずとも、稜線を堪能してやろうではないか。文句があるなら係って来い。気分と共に天候は回復して来た。あの時、雷鳥が飛ばなければ、稜線闊歩に満悦する自分は居なかったであろう。
でん六豆パワーが奏功し、大天荘から常念小屋までコースタイム3時間を1時間20分に納める快挙であった。其れも其の筈、決してでん六豆パワーのみならず、常念リベンジの怨念が誘ったのは過言ではなかろう。青空が広がっている。同日、丹沢の玄倉川などで幾人もが流される事故のあった5年前だが、其の惨事とは無関係にガスに包まれた山頂への怨念を晴らすべく、今日、この地にやって来たのである。早朝の天気は嘘のようである。常念周囲が斯くも晴れ上がるのは珍しいとされている。目前だ。リベンジは目前だった。
だが、小屋の標高は2,466m、山頂は2,857m。この標高差はデカい。其れでも幾人かを抜き去りながら喘ぎ喘ぎ登る。目前だ。リベンジは目前であった。小屋方面から見上げた山頂と思しき地点は偽のピークであったが、弛緩して小休止をしてしまったのが運の尽きかも知れない。今日で5年越しのリベンジ達成とほくそ笑んでいた。時にもう少しで9時になろうとするところだった。其処からも15分程の道程があったかと思う。後ろから、何か怪しい気配が漂って来た。何だよ、あれ、どういうことだよ、おい、、、
山頂に到着した。山頂名盤を手に持ちながらの記念撮影者でごった返していた。早く順番が来ないか、、、待っているうちに、それもものの数分で、小屋から見上げた絶景は打ち砕かれてしまった。撮影待ちの間にすっかりガスの幕が降り切ってしまった。嗚呼、常念。嗚呼、無念。また、来るか。おい、、、常念は常に念じていないと天候に恵まれないのだろうか。常念はまた私に怨念のみを残した。確かに富士も3.5度目の正直で完遂したのだ。常念は果たして次回、3度目の正直なるのか。次回に、乞うご期待。
小屋から山頂ピストンの者も多かった模様で先へ進む者は激減した。暫くはガスに包まれていたが、30分も経過するとまた次第に天候は回復した。1時間も経過すれば、振り返ると常念の頭に雲一つない。何だよ、おい。何だよ、お〜い。怨念を払拭し切ることは難しいが、行く先の晴れやかさについ頬も緩んでしまい、過ぎ去ったことは忘れようと思った。常念の怨念は嘘のように晴れ上がる。稜線には喜怒哀楽が詰まっている。昨晩ヒュッテの主は今日の天候は皆さんの日頃の行い次第と言ってたが、主の行い次第だったのではないか。大天井近辺だけ天候が崩れていたぞ。違うか。常念には日頃の行いの悪い人が偶々集まってしまったのだと勝手に解釈をしておこう。

そして、蝶槍。モノホンの槍や穂高連峰の頂上はガスの中である。一時は前穂から槍方面のルートも今回のツアーの俎上に挙げられていたのだが、此方への選択は正解であったことが証明された。大天井、燕、餓鬼、鹿島槍、鷲羽、立山、剣、野口五郎、黒部五郎、蝶ヶ岳に大滝山など360°の大展望。梓川も眼下彼方に。君は虹を見たかい?黄葉も?午前一杯の空気を吸って、鋭気が蘇った。
晴れやかな稜線を少々進めば蝶ヶ岳ヒュッテである。一服の前に先に蝶ヶ岳に寄ろう。秋風が冷たい。半袖Tシャツではやや不自由を覚えるが、晴れには適わない。蝶槍からの展望は留まるところを知らず。さてヒュッテに戻ってビールとするか。残念ながら生のサービスはなかったものの、此処にも自動販売機が存在した。ビールを所望する時、350ml缶か500mlの選択は、其の時の自分の可飲量も然ることながら、単価計算をしてしまうのが、算盤塾の息子の宿命と言うものであろう。Tシャツの不向きな最中、単価計算後、結局500mlのボタンを押してしまう。
予想より早く昼前に蝶ヶ岳ヒュッテを発ち、後は只管横尾への下りである。人も少ない。上高地界隈にして静寂を慈しむにはお誂えである。矢張り、今日の最終行程かと思うと弛緩して下りに飽きを覚えてしまう。ま、下りだから惰性で降りれば其れで良いか。だが万一、G氏がエネルギーを温存し過ぎて横尾山荘をキャンセルしてしまったらどうすべきか。携帯で連絡が取れるだろうか。心配は先立つが取り敢えず先ずは横尾に降りるしかないか。独りだったら、横尾に寄らずに大滝山を経て今日中に上高地へ下っていたことであろうが、要らぬ心配は勝手に脳裏を走り始めてしまう。横尾に近付きつつあるのか、擦れ違う人も多くなる。次第に鈴の音が聞こえると、庵の到来を熊かと思ったと、鈴杖を持った青年2人である。横尾からの所要時間を問えば、「1時間は掛かると思います。頑張ってください」とのことである。漫才コンビに心配され、下り時間を計算される程疲労困憊してはいない。貴様が1時間と言うならば、45分で終わらせてやろう。大体、熊出没の看板に平伏して鈴杖を横尾で購入したばかりで、しかも彼等は上りだと言うのに、私に向かって頑張れと言うのは残念ながら2002年と30日早い。この時刻にしてこの地とは、横尾出発が12時過ぎと言う不届き者の癖に、俺に頑張れとは。彼等を罵倒するよりは、鈴杖を買わせた横尾山荘に軍配を挙げたい。山荘が潤えば、サービスも向上するだろう。
程無く槍見台に到着した。残念ながら本家は未だ雲の中だ。やがて山荘が林間に垣間見え、13:30、横尾に至る。
G氏は槍から氷河高原経由でコースタイムも大分短いだろうから、絶対アントニオより早着しているものと思ったが、山荘に問えば到着の沙汰も問合せも一切ないらしい。むむ。何かあったのか。途中で居眠りでも扱いているのか。さもなくば余力で横尾を通過してしまったのか。不安が過ぎり、氏の携帯に電話を掛けるが留守電である。30分以上、山荘前で祝杯や行動食の残りを貪りながら、槍沢方面からの到来者を観察するも一向に氏の現れる気配がない。むむむむ。横尾到着から約1時間、業を煮やして意を決して先にチャックインを済ませることにした。相部屋だがベッド形式となっており、2段ベッドが4つで合計8人が一室の塩梅である。1ベッドに2人詰め込まれる心配はないだろう。風呂が沸くまで未だ未だ時間はある。談話室で紀行文の下書きでもするか。談話室で数十分うだうだしていると、漸くG氏が現れた。無事で何よりである。私の行程を考えると15時には絶対到着しない筈だと思い込んで緩めのペースで下って来たと言う。また、今日も槍沢ロッジに寄ったようで、生ビールは10時から、との報告を受けて項垂れるしかなかった。槍沢の生は一杯1,000-もするのだ。だが、嫌なら飲むな。横尾山荘の生のサービスは夏季のみであるから、氏は貴重な買い物をした。程無く風呂が沸く。16時から入浴解禁の筈だが、其れ以前に既に大勢の客が風呂場を往復していた。チェックイン時にタオルも渡された。石鹸シャンプーは利用不可ながら、ジェットすら噴出されていた。混雑は甚だしいが回転は速い。日本人が体を癒すには必要不可欠なアイテムであった。晩飯も割りと品揃えが良かったと思う。思わず売店で赤ワインを所望した。残念ながら地場物ではなく、チリのカヴェルネ・ソーヴィニョンと言う種であったが、冷蔵庫で冷やされてとても美味しく感じた。成る程と感じて其れ以後、庵卓に屡登場するカヴェルネ・ソーヴィニョンであった。今日も晩飯後は程無く床に就いた。
朝食は予想より早く、5時から営業とのことであった。早いに越したことはない。だが、5時ぎりぎりを目指せば既に第一陣で席は埋まっていた。彼等は今から穂か槍を目指すのであろうか。せいぜ頑張ってくれ給え。朝食は回転も早く、数分の辛抱で卓に通された。青菜の浅漬けが美味く、スタッフに土産はないかと問い合わせたがないと言う。業務用だから、などと言ってるのだから、スーパーなどで市販されているのだろうか。山荘だから美味に感じたのだろうか。

食事を済ませて5時半には山荘を発つ。天気予報では今日は回復とのことではあったが、未だ槍や穂高は笠を被っていた。矢張り、今回のコース取りは正解であった。惜しむらくは常念である。既に次回以降、如何に常念を攻めようかとの皮算用が進んでいた。明神の少々手前か、野生の猿と遭遇。数匹が奥上高地自然探勝路を横切ったのだが、其の目先の川原を見遣ると数十匹もが戯れていた。むむ、小梨平で多くて5匹くらいを見た試しはあったが、斯くも大勢とは今回が初めてであった。早起きは16文の得か。また、上高地到着も早く、土産物屋が果たして営業を開始しているか、一体何処で買えるかと思案をしていた。河童橋周辺の売店が開いていればと目論みなが、明神から梓川の右岸沿いに歩く。河童橋に近付けばホテルも立ち並び、午前8時そこそこではあったが売店も軒並み営業を開始していた。白樺荘併設の土産物屋は品揃えも申し分ない。野沢菜等を買い込んで意気揚々とバスターミナルに戻る。沢渡行きのバスも発車寸前であり、絶妙なタイミングで乗ることが出来た。程無く駐車場に戻り、帰途に就く。R158も渋滞しておらず、小仏トンネルを除いて中央道も順調であった。稜線歩きを堪能した。だが、渡辺真知子の歌も歌詞も、幻だったのか。
♪雷鳥が飛んだ〜、雷鳥が飛んだ〜、、、

(完)

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付録:

山旅アドバイス
・乗越沢->水俣乗越のコースタイムは推定1時間10分。
・横尾山荘は風呂あり。シャンプー石鹸は禁止。予約制。