十喜十憂

不定期連載 山道をゆく 第132話
03/07/12 仙丈ヶ岳
03/07/12 小仙丈ヶ岳(庵選千名山229)
仙丈ヶ岳(日本百名山、信州百名山、山梨百名山、庵選千名山230)
7/11(金)
庵庵…鴨居〜相模原−碁邸

7/12(土)
−八王子バイパス−八王子IC−諏訪IC−R152−戸台口−仙流荘
=北沢峠…小仙丈ヶ岳…仙丈ヶ岳…仙丈小屋…大滝ノ頭五合目
…北沢峠=仙流荘−道の駅南アルプスむら−さくらの湯−R361
−伊那IC−八王子IC−旧R16−町田街道−とんでん−町田駅
〜中山…庵庵

−:車、〜:電車、=:バス、…:歩き

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そんな筈ではなかった。11日金曜日から、あ、多分10日木曜夜から、白馬からお花畑ルンルンを目論んでいたのだ。白馬岳、雪倉岳、朝日岳と稜線を跨いで日本百、二百、三百名山を踏破する予定だった。だが、山の神は見離した。否、山の神が正しかったのかも知れぬ。天気予報は悪化する一方だった。そして仕事も蓄積する一方だった。仕事を片付けてから山に行け。神の御告げだ。忠告を破れば白馬の頂きに至る寸前に逆鱗に触れ、山野に屍を曝していたかも知れぬ。金曜日は結局有休申請を返上し、オフィスに赴いた。
何故だ。この天気は。
昨日までの天気は何だったのか。仕事と決め込んだ矢先の晴れ間である。俺の怒りが梅雨を明けさせたのか。悔しい。この天気なら休むべきだったか。。。
仕事は思いの外捗り、晩には社内宴会にまで参加出来た。人事を尽くしたのだ。こら、酒を寄越すんだ。
さて、其の白馬行きを企てていた碁氏とは、多少濡れるのを覚悟で櫛形山辺りに菖蒲を愛でに行ければ良いと計画をダウンサイジングした段階で合意が取れているものと思い込み、日帰り軽装で相模原を目指した。だが、碁氏、私が自らに山に引き込んだと言っても過言ではないのだが、野望は甚だしく私の思考を超越していた。どうせ濡れるのは同じだから、とのことで、仙丈ヶ岳の提示である。断る由も無い。未踏峰だ。雨に降られようが不可避な山行きに相違ない。然し、仙丈行きならば睡眠の余裕は無く今すぐ出発する必要があった。この辺り、用意周到な碁氏は既に仮眠を済ませているとのことで、雨のパラつく相模原を発つ事になった。碁氏には我が睡魔との格闘の末の敗北を容赦して貰いながら、中央道を諏訪ICまで転がして貰った。コンビニで食糧を調達し、杖突峠を目指す。雨は幾分激しい。明日はどうなるのか。滝の中を歩くのか。雨中を歩こうが、明日の心配の余裕も無い程思考回路に供給される酸素は不足しており、ただただ駐車場に至って安心して眠りに就ければ良かった。碁氏は一旦仙流荘の宿泊者向け駐車スペースに車を停めたが、細かいことは明日に考えれば良いではないか、こう思う程アントニオは疲弊しており、何も言葉が出なかった。何を契機に一般向け駐車スペースに移動したかは思い出せないが、駐車場には未だ未だ余裕もあり、心配もなかった。
夜が明けた。昨日の天気は何だったのか。また裏切られた。人事を尽くした結果か、梅雨時に薄日さえ感じる。始発便は6時半だと言うのに、落ち着かない老々男女は5時台前半からバス停に陣取り始めている。畑薙ダムと同じだ。何処から其のエネルギーが沸くのか。5時にバス停に並ぼうが、庵速の前には其のアドバンテージは無に等しいだろうに。睡眠時間は今日も少ないとは言え、雨中の彷徨を覚悟していたアントニオは薄日にほくそ笑むしかなかった。正義は勝つのだ。櫛形山ファンクラブ各位には恐縮だが、今日の今日、櫛形山程度に温存せずに、碁氏の野望に従って正解であった。俺は生きるぞ。ショーシャンクの青いビーチが脳裏を過ぎる。俺は太陽と会話が出来るのだ。5時台後半には我々もコンビニ飯を少々啄ばみ、支度を始めた。嗚呼、仙丈、待っていてくれ。今日は晴れるぞ。
仙流荘脇には村営バス駐車場に事務所もあり、何の心配も要らなかった。必要に応じて増便も対応してくれることだろう。荷物手数料は200円だが、日帰りDバッグ故に免除して貰った。碁氏のザックは更に大きめだったが、連れだった故か、此方も手数料は免除して貰った。
さて、辛くも1台目には座席確保を逸したが、2台目の先頭バッターとして君臨した。運ちゃんの沿道案内アナウンスが響く。畑沿いの鉄線には動物避けのために電流が流れている。死ぬ程ではないので帰路、触ってみてはどうかとの提案であった。此処のところトレーニング不足なので、無刺鉄線とは言え、電流爆破デスマッチには少々抵抗を覚えていた。沿道にはキリンソウ、ヤマアジサイ、ウダイカンバにハクサンシャクナゲが我々を誘っていた。どう足掻けば1時間も掛かるのだろうかと思しき対向車の皆無な南アルプス林道に、往路の行程は45分で満了していた。シーズン中は台数も多く、林道は狭いため、適度に交換所で時間を潰す必要があるのだろう。7年に1度しか咲かぬユクの木の話など、バスの運ちゃんも草木の話題には事欠かなかった。
湿った北沢峠からやや長野側に戻り、大平山荘側から藪沢を越えるルートを選択しようと試みるも、残雪が多くディンジャラスとの立て札が我々を怯ませ、結局北沢峠へ戻ることにした。白馬行きの荷物には軽アイゼンが放り込まれて居たのだが、そんな便利な物は今更持ち合わせてはいなかった。
庵速を駆使しても数名のハイカーにしか追撃可ず、先に発った者の殆どが甲斐駒を目指したのだろうか。逆にお爺さんレンジャーに追撃されてしまった。庵速も一巻の終わりである。出前迅速庵速無用。脳裏でリフレインをし始めたオフコースの「さよなら」は既に120dbを越えていた。今日は庵速敗戦日として、深く歴史に刻まれることであろう。近年稀に見る庵速保持者には脱帽以外のリアクションを禁じ得なかった。誰かお爺さんのレンジャー業を継いで欲しい。否、継ぐべきはアントニオなのだろう。山小屋でパン焼き職人になる前の元気なうちに、アントニオが通るべき道であろう。仙丈は思ったより平易な山のようで、睡眠2時間程度でも何とかこなせそうな傾斜である。幹間に青空が覗く。嗚呼、尽くした人事が天命となって顕れたのだ。振り返れば、凛々しい鋸岳。静かに唸る三角錐。何時かアントニオも其の雄姿に惹かれるのだろうか。
大滝ノ頭五合目まで、コースタイム2時間のところを1時間15分程度で登り詰めた。疲労も糞食らえだ。俺には青空がついている。やがて森林限界を越え、ハイマツの目立つ稜線に飛び出た。甲斐駒側がややガスめいているものの、馬ノ背方面の向こうに青空と雲海のコントラストが夏を主張して止まなかった。我、雲上人也。昨晩の雨の記憶は幻か。あと2時間以内に3,000m峰だ。今年最初の3,000峰だ。筋肉疲労が襲おうが、何人も我が光合成を止められやしない。ハイマツの脇に、白、黄、桃、紫の彩りが、次第に庵速を緩和させた。夏の息吹だ。
ミヤマカタバミ、オオハナウド、オオイワカガミ、ホウチャクソウ、イワギキョウ、ニリンソウ、ママコナ、シラネアオイ、、、山の息吹が思われる。注目すべきは幾種かの発現が季節遅れになっていることだ。今年の冬の雪深さは自然が証明していた。
幾度か、似非仙丈、偽仙丈、仙丈モドキの数ピークに束の間の達成寸前感覚を搾取されながらも引き続き、雲上を行く。ガスに追われたり退かれたり、一喜一憂を繰り返しながらも、山頂付近では辛くも霧の迷いに落ち込んでしまう。だが、何とか山頂に到達した。ガス発生時は仙塩尾根へ迷い易いとの地図の注意書きが神経を蝕み、幾度か道を間違えたかと不安を彷徨ったが、思いの外山頂は遠くであった。日の光が弱い。矢張り我々は梅雨中を彷徨していただけなのか。霧消を天に祈りながら湯を沸かしてみた。幾度か日の光の強まりを感じ、「をぉ!」と碁氏と共に怨念声を張り上げるものの、太陽には届かず終いであった。心無しか冷え込んだ山頂にホットティーは安堵を覚える温かさであった。昨晩の雨を思えば上出来の山行だろう。霧の山頂も仕方ないさ。
未練がましく下山を始める我々の懸念を他所に、ガスは薄まりつつあるように感じた。標高にして数百メートル程度下がると、夏の青空に白い入道雲の光景が我々の心境を複雑にした。我々の過ぎた後に天空が現れるのではないか。然し、山頂は我慢強く灰色雲に覆われていた。みすぼらしくも安心すれば、仙丈小屋の主も今年は天候不順が続いていると言う。缶麦茶は生憎冷えてはおらず、梅雨時の憂さを晴らす爽快感を覚えることはなかった。残念である。
仙丈ヶ岳は急登もなく、下りも可也お手軽な山である。三千メートル級とは雖も恐るるには足らず。閃光を放つ新緑に、また柏餅が食べたくなる。
左程急がずに13時発の戸台口行きのバスに間に合ってしまった。ノンビリと山小屋での一服を目論んでいた碁氏を説得し、温泉後にまったりしようと請願し、残り少ないバス席を埋めた。
帰路のバスの運ちゃんも、往路の氏を遥かに凌ぐ高山植物博士振りであった。ヨツバシオガマ、ヤマブキショウマ、タマアジサイやクルマユリなどの生息地を悉く注視しては其の株のすぐ脇にマイクロバスを停車させて乗客に説明を追加していた。お客様第一主義の特異系と言えよう。知識自慢な年配ハイカー達を擽る仕業には感服せざるを得ない。
帰路は対向車もあり、また、往路より植生散策に時間を割いたため、往路よりやや時間を掛けて仙流荘前に到着した。乗客は軒並み、駐車車両が増えていることに驚いている。恐らく彼女等は平日中に此処を発ったのだろう。其れでも駐車スペースはガラガラに近かったのだが。来週以降は殺人ラッシュであろう。
地図には温泉マークも付されていたので、往路に看板を発見したさくらの湯を目指すことにした。其の前に、気になる道の駅、南アルプスむらへ立ち寄る。天然ジュースが試飲が出来、漬物類も軒並み試食可能で中々のサービス振りである。隣接の焼き立てパン屋も庵の触手をそそる品揃えでチョイスに苦労した。ほんのり甘い焼き立てクロワッサンも試食させてくれた。中々大盤振舞いで感じの良い道の駅であった。
高遠の街へ戻れば、桜の季節でないためか、かなりひっそりとしている。和風の蔵屋敷風の綺麗な建物が並び、落ち着いた佇まいの中、さくらの湯の看板は中々見付からない。看板の派手さは街の美観と反比例するものだからか。南ア帰りの者は恐らく其のまま仙流荘で汗を流すのが殆どなためか、山家らしい客は発見出来なかった。打たせ湯や温めの露天など、山疲れには頼もしい温泉であった。
R152で諏訪へ戻る予定が道を間違えたようでR361に流れてしまった。然し、ICまでそう遠くはないので其のまま進んで伊那ICから中央道に乗る。諏訪ICで、ダチョウの串焼きを思わず掴む。ジューシーな一串を所望していたアントニオの予想を覆し、バサバサ感は否めなかった。冷凍物なのか、養殖物なのか、そもそもこんな物なのか、定かではないが、山後のアントニオに対して、諏訪ICの串焼きダチョウは若干インパクトに欠けていた。ダチョウの精進を切に望む次第である。
笹子トンネルも大月も渋滞無く、斯くも日の高い時間帯に中央道を満了出来る経験は中々無いと思っていたのだが、世の中はそんなに甘くはなかった。小仏トンネルを抜けると、川端康成が真っ青な如く、雨だった。大雨だった。山梨側は何も降っていなかったのだ。東京は今日も日照を失っていた。雨の激しさに要因の人為性を彷彿とするように感ぜざるを得ない。ワイパーフル回転でも前方視界が忍びない。見る見るうちに移動速度を失い、中央道は滝と川と車の数珠繋ぎに覆われた。横浜線はイチコロだろう。自然界の逆鱗に誰が触れたのか。滝が如き雨に、天の怒りを見た。天の怒りの前に人間は脆く、至る所で渋滞が発生していた。八王子バイパスに乗れるのか疑問に思い、旧R16に移ったが、此方の交通量も何時も通りであった。牛歩の列に諦念を覚えているうちに、雨は何時しか小振りになった。町田街道へ抜ける頃には傘も不要と思われる雨量にまで落ち着いた。当初は雨が落ち着くまで夜食でも平らげていればと思ったのだが、逆にめぼしい食処が発見出来ずにいた。町田手前でぐるぐると店を探して彷徨しているうちに腹も減り、とんでんの門を叩いた。土曜の夜は家族連れでごった返しており、若干分の待ちを余儀なくされた。店員教育も行き届いており、逆に気持ち悪いくらいだったかも知れぬ。食事も悪くなく、結局二度の大雨も車中で凌ぎ、梅雨時にしては割とパフォーマンスに優れた山行だったか。

(完)

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付録:

山旅アドバイス
・戸台口に駐車スペースがあるか不明。仙流荘には村営バス事務所
もあり、多客期には増発便を仙流荘始発で出すなど臨機応変に実
施している。
・2003/7/12現在、南アルプス林道の山梨側夜叉神峠以西で土砂崩れ
のため通行止めになっている。
・さくらの湯は国道から看板すら発見し難い。