深く、そして深く。

不定期連載 山道をゆく 第103話
02/08/10〜  2002夏特別企画 深南
鳥森山(庵選千名山157)、千枚岳(庵選千名山158)、丸山(庵選千名山159)、
悪沢岳(日本百名山、荒川三山、庵選千名山160)、中岳(荒川三山、庵選千名山161)、
前岳(荒川三山、庵選千名山162)、小赤石岳(庵選千名山163)、
赤石岳(日本百名山、信州百名山、庵選千名山164)、大沢岳(庵選千名山165)、
中盛丸山(庵選千名山166)、兎岳(庵選千名山167)、
聖岳(日本百名山、信州百名山、庵選千名山168)
(includes グルメ街道をゆく ちいさなごはんやさん)
序章:
8/10(土)
庵庵…鴨居・長津田・梶ヶ谷−座邸−東名川崎IC−足柄SA−

8/11(日)
−清水IC−R1−サークルK−畑薙第一ダム〜椹島・椹島ロッジ
…鳥森山…椹島ロッジ(泊)

8/12(月)
…小石下…清水平…見晴台…千枚小屋天場(泊)

中章:
8/13(火)
…千枚岳…丸山…悪沢岳…中岳避難小屋…中岳…前岳
…荒川小屋天場(泊)

8/14(水)
…大聖寺平…小赤石岳…赤石岳…赤石避難小屋…百間平
…百間洞山の家…大沢岳…百間洞山の家天場(泊)

最終章:
8/15(木)
…見晴台…中盛丸山…小兎岳…兎岳…兎岳避難小屋
…聖岳…小聖岳…聖平小屋(泊)

8/16(金)
…岩頭展望台…聖沢吊橋…聖沢登山? 〜畑薙第一ダム−ちいさなごはんやさん
−もりのいずみ−羽鳥IC−R1−サンテラス−三島−御殿場ビールレストラン
−御殿場IC・よしの−御殿場IC−東名町田IC−庵庵

・:電車、〜:シャトルバス、−:車、…:歩き
 
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序章:不覚
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深南部とは、山家をくすぐるとある山域を指している。麓までの交通手段も覚束ず、また麓から山小屋までの標高差も大きく、万一があっても容易に下山可能なエスケープルートが存在しない。同様に多難を極める山は皆無とは言えないだろうが、南アルプスの深南部は、或る意味我々の妄想の中で神聖域化し膨張し、止まるところを知らなかった。体力のあるうちにクリアする必要があろう。憧れの山域に、今年遂に白羽の矢が立った。
 
前日まで案の定、激務が続いていた。きっと是が最後の南ア行きになるだろう。否、最後の山行かも知れぬ。体力を消耗し切り、幾千もの思いと重荷を背負い、旅立つ旅立つ時が遂にやって来た。果たして本当に最後になるのかどうか、挑戦でもあった。鈍り掛けた筋肉が緊張し始めた。
 
先週集中購入した食材を分配するため、やはり会長宅に寄って荷物整理をするも、既に各々の荷物でごった返すザックを更に掻き回す事に、夫々が何も言わずにささやかな抵抗を続けているようでもあった。
荷造りを終了し、車に飛び乗る。程無く東名に乗り、順調な交通の流れに乗りながらも一人不安を拭い切れなかった。駐車場にスペースの余地はあるのだろうか。椹島までのシャトルバスは予約が出来なかったのだが、果たして乗り切れるのであろうか。椹島ロッジもやはり予約が不可能であったが、富士山の収容所のような山小屋生活を強いられはしないだろうか。土曜日ラストにメールした業務内容がきちんと営業サイドに伝わっているだろうか。お盆休みと言うことが客に通用するだろうか。不安のデパート、否、暗黒材料満載の場合は、不安の総合商社との表現が的確であろう。こんな心配を他所に、会長の口は止まる所を知らず、ただ疲れを助長させながら助手席にて、東名高速を西へ流れて行くのみであった。
 
清水ICで下車してすぐさま静清バイパスに乗れば、防音壁の狭間を進むのみで終ぞやコンビニを発見する事無く、国道一号線に別れを告げるしかなかった。況や酒屋をや。侘しげな県道を進めば漸く一軒、サークルKが目に飛び込んで来た。残念ながら酒類の販売サービスは無いものの、明日の朝飯と昼飯がこの店に懸かっていたことを思うと、清水砂漠の中のオアシスであった。お握りコーナーにはジュビロカツ握りが丁度三ケ並んでいた。有無を言わさず全員に掴ませた。一度我が目前に居合わせたお握りの運命である。これで当店の当座のジュビロカツは完売である。残念ながら後から続いて来た輩は、一歩遅かった。彼等は、今日、ジュビロカツのエネルギーに浸れることはないだろう。哀れではあるが背にカツは替えられない。しかし、清水と言うのに、何故ジュビロなのだろうか。エスパルスはお元気ですか。
取り急ぎ、「清水なのに何故ジュビロ」問題が当面の最重要課題に切り替わったため、業務メール云々の心配はする余地もなくなった。カツ問題は其れは其れで大きな問題ではあったが、かなり不安は解消された。否、解消したのではなく、上手く忘れることが出来ただけである。なるほど、だからジュビロなのか。さすが、ジュビロだ。一枚上手であった。ジュビロカツ、先ずは1点先取である。ジュビロカツが二回戦に進出し、対戦相手がシウマイ弁当になれば、はたまた難解な問題を払拭することは不可能である。この審議にはとてもではないが通常国会会期内に終了することは至難の業である。
 
清水の街並みはこうして車窓を去って行った。車窓の酒自販機を隈なく目で追うも、挙って二三時以降の販売停止ランプが空しく光るのみであった。
道は何時しか細くなる。この地が、あの熱海や伊豆と同じ静岡県なのだろうか、御殿場程度とも少々趣が異なる異次元空間であった。山道のようで植生が南国の気分である。未だ踏みも見ず山域は、カルチャーショックの逆噴射で先が読めない。
 
細い細い山道を、其れほどノンビリではない速度で走行していたにも拘らず、後ろから煽るライト
が眩しかった。横浜ナンバーのレガシーである。何故斯くも速いのか。会長のドライビングテクニックも限界に近付き、道を一度譲ってからは終ぞや見失ってしまった。まぁどうでも良い。先は長い。インディージョーンズが如くジャングル空間は果たして何時まで続くのであろうか。其れでも時折集落を確認する。彼等は何処の学校に通うのか。野良仕事以外の産業は。ITディバイディッドは、発展途上国ばかり目を向けていると灯台下暗しに陥るのではないか。鵺とゾンビの終着駅と思しき陸奥にも、口坂本温泉なる温泉旅館集落が存在した。以後、心細い真っ暗な様相を、口坂本状態と形容せざるを得なかった。
 
そんな矢先、レガシーは自らのドライビングテクニックで愚かにも車酔いしてしまったのか、みる
みるうちに失速してしまい、我々は追い付いてしまった。否、対向車が存在したのだった。
 

代行。

 
午前二時である。この、人跡未踏にそう遠くない地に。川口浩探検隊のカメラマン部隊でさえ未だ到達していないであろうこの地に、代行車が1台、擦れ違っては去って行った。
 
この地に、代行車、と言う文明が存在したのだ。文明開化である。一瞬、代行ランプを灯した軽自動車が、黒船に見えて憚らなかった。2002年8月11日午前二時十分、開国を宣言する次第である。
 
しかし、何処で飲んだのだろうか。代行車で何処まで行くのであろうか。果てしない口坂本空間の先は見えるのか。燃料は大丈夫なのか。片道分だけなのか。一億総・・・八月はそんな季節である。
レガシーは追い付かれて気に触ってしまったのか、急に速度を上げ、県民の森方面へと駆け抜けてしまった。山に登るのであれば、恐らく方向違いの筈なのだが。
 
そして再び先導車なしに、県道を北上した。街灯が照り返し、静寂を湛える井川湖。帰路に水面の面影を確認させてくれ。そして何処までも続く大井川を右に眺めながら未だ未だ北上する必要があった。畑薙ダムが見え、漸くシャトルバス云々の看板を発見。右手に駐車場は、、、嗚呼、五万と車が並んでいる。しかし、何とか我々の停める余地は存在した。見上げれば、星が十万と瞬いている。三時を過ぎ、いい加減目もしょぼしょぼ感を残しながら、十万個のしょぼしょぼ光が天空を埋めていた。オリオン座は冬の星座ではなかったのか。星見に必要な山間の暗黒さである。暗黒も偶には良い面を醸し出す。月が沈むから日が昇る。我々の陣地、確保。1つの不安を解消し、そのまま座席に溺れた。
 
夜が明けた。矢張り、眠りから早くも目覚めた中高年ハイカー達が歩き回り、耳につく。五時台から騒々しい。バスは大丈夫なのか。増便してはくれないものだろうか。トイレに寄れば、六時台だと言うのに、既にバス停に行列が出来始めているではないか!いかん!隊員を叩き起こして早く飯を食って並ぶように指示をした。しかし、年寄連中は恐ろしい。時刻表に拠れば、8:10が始発の筈なのだが。七時頃に増便されることを彼等は知っていたのか。誰かが並び始めると並ばないと気が済まない、ただただ悲しい日本人の性ゆえなのか。ううむぅ。日本人である以上、死ぬまで背負わねばならぬ不安なのかも知れぬ。そして死ぬ間際には、このアントニオも、その騒々源と変わり果ててしまうのだろうか。
ホームページで確認したバスは、高々マイクロバスである。林道に大型車が侵入出来る余地はない。この行列で一台で収まるものだろうか。増便されると嬉しいな。いいさ、今日は椹島に到達しさえすれば目的達成だ。一本や二本、見送ったとしても今日昼間には到達出来るであろう。
そんなアントニオの不安を払拭しに、静岡鉄道のマイクロバスが二台、七時過ぎにやって来た。おぉ、やはり。お盆増便、万歳。静岡鉄道、万歳。一台目には溢れたものの、二台目にぎりぎりチェックインとなった。何せ、マイクロバスだ、補助席利用でも二十四人で定員ギリギリなのだ。マイクロバスだ、荷物置き場の余地はない。全て膝の上だ。深南部とは言え、思ったより我々クラスの大ザック保持者は殆ど見掛けなかった。金持ち中高年軍団は、荷物を背負わず小屋泊でさっさと下山してしまうのだろう。それに引き替え我々は、最後に漸く確保された補助席に押し込められ、ザックを膝に乗せれば瞬く間にロングフライト症候群、重荷に脚の血行が阻害されつつあった。大井川の辺でジ・エンドなのか。窓際の連中は大井川の清流風景を堪能していることだろう。しかし、バスに座れたとは言え、早く目的地に到着しないものだろうか、不安と苦痛に押し潰されそうになった。恐ろしく長い間、バスに揺られていたように思う。
40分程経過しただろうか、聖沢登山口で多量に下車し、席を移動してザックを臨席に除けた。救われた。深南部の厳しさ、第一ラウンド突破である。
やがてバスは椹島ロッジに到着、乗客は思い思い
の登山支度に奔走し、殆どの者がそのまま千枚か赤石を目指して去って行くようだった。我々は満
を持して本日はロッジ停泊である。長丁場だ。焦
りは禁物だ。

椹島ロッジは、文字通り椹の木に囲まれ、変な喩えではあるが、俗化していない徳沢の雰囲気であった。そして、満を持して生麦茶で乾杯である。売
店は聞くところによると午前六時から営業とのこ
とである。午前六時と言えば、二年前の縦走最終日、鏡平小屋午前六時二分からの生ビールというギネスブック級の記録を更新できるか否かの瀬戸際である。六時に売店が開いて即座に生のサービスが開始されるとも限らない。今回は記録更新に注力することは断念、明日からに備え、準備運動として鳥森山を目指すことにした。
 
椹島に来る者は、一体何者か。
どうしてこのような問が発生するのかと言えば、鳥森山以外に安直な山が無いからだ。赤石にしろ千枚にしろ、山小屋まで五、六時間は掛かり、山頂
へは更に一時間程必要なのだ。とてもではないが
日帰りハイクの気分で此処を訪れる者は皆無である。唯一この鳥森山のみが、コースタイムにして
登り七十分、下り三十五分と言うお気楽ハイクを提供してくれるのだ。鳥森山の山道開発の理由は、恐らく、赤石や悪沢を目指したが退けられた者どもが、其れでも「俺は南アルプスの一角に登ったのだ」と自慢をするための保険山なのであろう。山頂からは赤石岳、悪沢岳、聖岳が猛々しかった。午前十一時前にして、赤石などの山頂にはやや雲が多目に見られるが、この晴天が持続することを願って止まない。
思えば昨日、疲れでバテ気味な体に更に追い討ちを掛けるように多量の麦茶摂取を敢行してしまい、未だ疲れが抜け切っているとは到底思えなかったが、鳥森山は片手間で登頂可能で、明日への助走、或いは準備運動と言うには程遠かったのかも知れぬ。しかし、飽き足らず、下山直後も乾杯、昼寝後乾杯、晩飯時に乾杯、風呂上り就寝前に乾杯を繰り返して止まなかった。登山基地とは言え、一応の風呂は存在した。あまり綺麗とは言えなかったが、無いよりはマシである。幸いロッジチェックインは堂々一番乗り、部屋も8畳間くらいを独占することが出来た。風呂の後、星見でもと、外に出ては休憩室に「貴方にとって山とは何ですか?」のアンケートポスターがあった。迷わず、「人生、麦酒。」と筆が進んだ。山中3日間は私営山小屋なので麦酒のサービスくらいは何とかして貰えるだろうと高を括っていた。川口浩より先にカメラマンが道を切り開いたように、アントニオの前には麦酒が道を切り開いてくれることだろう。明日には明日の、麦が吹く。
山小屋と言うより民宿のようなこのロッジに激早朝からの朝食サービスは望めないと、昨晩のうちに弁当を注文しておいた。四時には起床し、ゴミを持ち帰るのも面倒と思って部屋で弁当を平らげ、いざ出陣である。

さすがにこの時刻では売店も営業しておらず、出征前の最後の祝杯は望めなかった。

椹の林を掻き分け、一旦林道に復帰、二軒小屋方面に少々進んでから大井川に架ける橋の手前で、愈々本番開始だ。
何時しか、重荷に苦痛を覚え始めていたようで、三人とも口数は少なくなって行った。序盤と言う
のは確かに緊張感はあるものの、荷物が最も重い状態で、なおかつ樹林帯で視界もあまり効かない道を延々と登る必要があり、ツアー中最大級の苦難と言えよう。三、四十分置きやランドマークを見付ける度に休憩を採りながら、一歩一歩登るしかなかった。
椹島から三時間程で見晴台だろうか、少々開けた地点で腹が減ったのでラーメンを食った。ハンガーノック状態寸前ではあったが、食わなければ復活はあり得ない。段々とギャラリーが増えてきたので、少々離れた適地にて源流になろうとしたところ、先客が既に肥料開発に勤しんでおられた。取り敢えず、一敗の気分であった。しかし、空は青い。夏だ。目指せ、上を!
へばって居た所、米が多いのではと心配して貰い、隊員に荷物の再配分をお願いしながらもほぼコースタイム通り、11:30頃にはお花畑中に千枚小屋を発見した。
おぉ、千枚小屋!やっほー、千枚小屋!おお、ブレネリっ、貴方のお家は千枚小屋!此処掘れ、千枚小屋!我輩は、千枚小屋!月日は百代の過客にして、行き交う千枚小屋!・・・
千枚小屋は、スタート地点に過ぎないが、正しくゴールであった。今日のうちはゴールに存分溺れろ。そして明日はスタートだ。サラシナショウマ、ヤマトリカブト、ニッコウキスゲ、ブルーベリー
など、勢い良く咲き乱れている。笊が岳に富士も美しい。
先ずは祝杯だ。水冷ではあったが、常温よりベターである。飲んでばかりで不覚感は否めないが、俺は明日、復活する。夏の午後を、態々持参した業務資料に目を通して時間を潰した。小屋前で十六時頃から晩飯の支度をする。ビビン麺は中々ヒット作であった。天気さえ良ければ、明日、復活するのだ。明日、日本標高第6位を目指すのだ。そして、見下ろすのだ。そう、決めた。
(続く)
(口坂本地区の皆様、ゴメンナサイ)