深く、そして深く。(2)

不定期連載 山道をゆく 第103話
02/08/10〜  2002夏特別企画 深南
序章:
8/10(土) 庵庵−
8/11(日) −椹島ロッジ(泊)
8/12(月) …千枚小屋天場(泊)

中章:
8/13(火)
…千枚岳…丸山…悪沢岳…中岳避難小屋…中岳…前岳
…荒川小屋天場(泊)

8/14(水)
…大聖寺平…小赤石岳…赤石岳…赤石避難小屋…百間平
…百間洞山の家…大沢岳…百間洞山の家天場(泊)

最終章:
8/15(木)
…見晴台…中盛丸山…小兎岳…兎岳…兎岳避難小屋
…聖岳…小聖岳…聖平小屋(泊)

8/16(金)
…岩頭展望台…聖沢吊橋…聖沢登山? 〜畑薙第一ダム−ちいさなごはんやさん
−もりのいずみ−羽鳥IC−R1−サンテラス−三島−御殿場ビールレストラン
−御殿場IC・よしの−御殿場IC−東名町田IC−庵庵

・:電車、〜:シャトルバス、−:車、…:歩き
 
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中章:深く
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朝焼けに煙る、幻想的な富士を目前にしながら、餅入り卵スープを胃袋に流し込む。今日も晴天だ。午前4時台にて肉体が目覚め切ってはいないものの、今年最初の3000m峰は晴天下に到達出来そうな気配に武者震いは止まらなかった。
光る頂きへ。満を持して防寒の為に羽織ったゴアテックスのレインウェアもものの10分程度で体温上昇とともにお役御免となった。頂きが呼んでいる。
小屋から40分程で、メインイベントへの序曲が緩やかに流れ始めた。ハイマツを掻き分け、千枚岳山頂に立つ。この眺望を支える好天。勿論、直後に挑む悪沢岳を始め、赤石加加森光笊富士青薙八紘嶺、、、そして、僅かに靡く、雲。シナノキンバイに彩られたアーケードは朝の清清しさを爆発させた。
漸く稜線エネルギーを吸収し始め、アントニオは徐々に加速を始めた。続いて至るは丸山である。何処にでも有り勝ちなこの山名だが、標高は堂々3032mである。マツムシソウは真夏の太陽を掴もうと、絢爛に咲き誇る。太平洋高気圧、圧勝である。塩見、農鳥に北岳も視界に入って逃げない。今、3,5位を除いて、日本の標高七傑くらいがほぼ視界に入っているのではないか。
今日は訳が違うのだと思いつつも、次第にガイドブックの文句通り、風が通り抜けて行った。しかし、昨年も未遂の3000m圏内に躍り出れば、真夏の太陽に風の強さも吹き飛んでしまう。
やがて岩稜を乗り越えれば、本ツアー最高峰、悪沢岳である。標高3141m。日本百名山の1座である。遂に。日本第6位である。簡単だったような気がする。もう暫くの間、我々の壁であり続けて欲しいと望みながら、何時の間にか壁に到達していた。フィットンチッドと太陽光で我が発電が進んでしまったようだ。強風もそんなものだ。風には風の都合がある。北西には北アルプス交響楽団。矢張り、そちらを眺めてしまうものである。まるで孵ったばかりの雛が、目前の動物体に追従してしまうかのように。此処からなら標高十傑も簡単、、、あ、3位に一部隠れてしまっているかも知れない。しかし、山並みはほぼ眼下である。遥かなる丹沢の・・・ふと、中学の校歌を思い出す。確かに遥かである。更に、遥かなる南アルプスの深南部に、今、立ち尽くした。足踏みはしたものの、足掛け3泊を経ての3000m級であった。計画は周到の筈ではあったが、昨日はかなり身に堪えた。感慨深く、悪沢岳。岩稜に伝えば、悪沢岳。風が通り抜ける、悪沢岳。雲海のグラデーション、悪沢岳。我々は、かなり上に、立った。苦々しさは、雲海の下だ。難しいことは、雲海の下だ。重い荷物は背中にあるが、重い思いは雲海に沈んだ。山並みに目指していたものが、目前から消えた。目指していたものが、今、下にある。踏んでしまった。昨日の焦燥感は何だったのだろうか。我々は、かなり上に、居た。
逍遥を続けよう。岩稜を下り、そして鞍部を登り返せば避難小屋である。私営で夏場は管理人が常駐しているからか、清潔な佇まいであった。初日にエネルギーの有り余る者は千枚小屋を越えて此処まで到達してしまうことであろう。管理人が居るからこそ、避難小屋でさえ麦酒を所望してしまったような気がする。付近に水場がなければ管理も苦難だろう。麦酒は一滴残さず、心を篭めて胃に注ぐ次第であった。
胃袋にプレミアムガソリンを注入後、寸分で標高3083m、威風堂々とウサギギクの彩る中岳に到達。更に進んで分岐から前岳へ。これにて荒川三山制覇。シナノキンバイの微笑を他所に、やや雲海は濃さを増していたかのようだった。北岳が眩しさ極まりなかったが。
分岐に戻り、下ること標高差で4,500mも、であろうか、下り飽きた矢先に荒川小屋の赤い屋根が頬の筋肉を和らげた。さて、明日の天候次第では、当初の予定である此処での停泊を断念し、先行しておくべきとの議案も提出されている。直に出発出来るよう、昼飯はラーメンにした。
水曜日の悪天は以前から週間予報で報じられていた。明日の進退は如何にすべきか。赤石岳を抜けるか、其処から赤石小屋方面に潜むか。明日のために更に今日のうちに前進を進めるべきか。きっと赤石避難小屋はかなりの賑わいであろう。残念ながら避難小屋周囲では天泊も出来ないため、躊躇は止まらない。難問であった。仕方なく、西瓜を所望した。ボッカをしているのか。ヘリで担ぎ上げているのだろうか。標高2500mを越える地点でジューシーな果物を貪れる有り難味に溺れ、解は出なかった。仕方なく、もう1本、所望した。明日の天気予報を信ずるか。或いは頑なに当初の予定通りの行動に落ち着くか。プレミアムガソリンが胃液と化学反応を起こし、太陽を味方に付けた。日本を、休んだ。
 

湧き水が細っているためリッター100円で買ってくれとの小屋からの通達はあったものの、数分下れば滾滾と涌きいずる冷たい天然水があるではないか。しかし、このアプローチの長い山域の山小屋に、何故水洗トイレが存在するのか。私営小屋とは言え、山に対する意気込みに敬服する一方だ。

 
テント設営をし、洗濯をしたり、また業務資料に目を通したり、そして夏眠を貪った。晩飯は麻婆
春雨にほうれん草のおひたしだ。昨日千枚小屋天場にて金髪学生ワンゲル軍団が、鍋底の焦げ目を擦って落とすゴリゴリ音、即ち金ゴリが、今宵も南アルプスに木魂していた。荒川小屋、若者達が天場に犇き合い、小屋泊者は少なく閑散としていた。平和な夏の一日が終わろうとしていた。
 
夜が明けた。Yahoo天気予報の負けである。我々は騙されることなく新たな名峰へのステップに相応しい天候を掌握していた。そして、その痛ましいくらいの太陽光は、大腿三頭筋を多いに活躍させた。
この辺りの山域へのアプローチは長く、何れに進んでも深みに嵌って、溺れて行くような気がする。其れは感受者の気の持ち方次第でプラスにもマイナスにも作用する。「浸る」の表現には若干生温さを覚えてしまう。勿論、アントニオはその深みを既に味方に付けていた。
昨日失った位置エネルギーを回復するのに約2時間程費やし、小赤石岳に到達。ここも3000mを越えている。そして、均整の取れた、富士が視界を奪って止まない。容姿端麗な富士に、やはり今日も魅了される典型的な日本人であった。富士は日本人の絶大なる財産である。
そして、その矢先にはハクサンチドリに足を停めがちになりながら、日本で第7位の標高を誇る赤石岳に到着。辞書に拠れば、取り分け大きな山を岳の文字で表すが、さすがの南アルプスは岳の大合唱である。そして山奥の深南部は殆ど電波圏外である。元来、山はそんなものだ。文明の利器に慣れ切った精神を葬れば、携帯電話に奪われていた時間を取り戻すことが可能だ。強風に煽られながらも、太平洋高気圧の優勢に頭は下がる一方だった。ワレモコウにトウヤクリンドウも咲く。天気予報、ざまぁ見ろ。此処から見る限りでは、新潟や北ア方面は雲に塗れていたようだが大丈夫であろうか。 
山頂、そして稜線から、自然の織り成す雄大な芸術に泥酔しながら、また位置エネルギーを失う作業を続けなければならなかった。
赤石避難小屋は、また此処も清楚な感じの良い小屋であり、プレミアムガソリンも350mlでお札1枚の高騰ぶりではあったが、補給は避けられなかった。スタッフに聞けば、昨日の宿泊者数は実は其れ程でもなかったとのことである。ハイカー同士の勘ぐりに流されて、かなりのメンバーが赤石小屋まで下って集積してしまったらしい。ハハハ、そんなこともあるのか。しかし、3120mの赤石岳より少し下っただけのこの地の小屋では、高山病で眠れぬ夜は不可避であろう。確かに昨日荒川小屋のテーブルに同席した3人組みにも情報操作で煽ってしまったが結局彼等がどのような行動を採ったかは定かではない。ハイカー同士の駆け引きにも要注意だ。
百間平までの途中で、出遅れていた金ゴリ軍団に追い抜かされた。さすがに元気で速い。しかも天気が良いのに全員ザックカバーをしたままだ。彼等を渋谷の街で発見すれば、是ほどのバイタリティーを備えたハイカーであることは想像を絶する。金ゴリの語感ながらも、丸刈りに近い金髪はお猿さんにも紛いかねない。金髪は一種の保護色と言えるだろう。彼等の今後の活躍を願って止まない。
拓けた百間平を過ぎ、また下りである。百間洞への下り続きで足元も覚束なくなるが、今度の百間洞天泊地が今ツアー中最も天場のキャパが少なく、ノンビリはしてられなかった。金ゴリ軍団を含め、昨日の荒川小屋天場組みが全て押し寄せてくるとなると、椅子取りゲームに敗者が生まれてしまうのだ。と言いつつも、下り飽きてみるみるうちに失速してしまった。天場地帯に到達すれば、既に会長等が整地に当たっていた。小屋のスタッフも今日はどれだけの天泊者が訪れるのが戦々兢々としながら、何とか場所を確保せねばとスコップでの石の掘り出しに明け暮れていた。
今日も11時前に到達してしまい、小屋外のテーブルにて昼食となった。フリーズドライのカツ丼の
具及び牛丼の具を取り出す。共に140円、100円と、フリーズドライとしては破格の部類だが、その分、量は高が知れていた。カツ丼は想像通り衣が厚く、豚肉厚はナノテクノロジーの結晶のような薄さであった。まずまずである。そして100円の牛丼の具は、意外や意外、かなりの傑作である。フリーズドライ業界も競合が激しいのか、デフレ時代に突入している。より安価で美味な食品に辿り着けるのも時間の問題であろう。これには偏に、中高年ハイカーによる山岳食品市場の拡大の影響は否定出来ないであろう。非難ばかりもしてられない。何か共存の道を探る必要があろう。
 
大沢岳への散歩は此処までの下り詰めの疲弊で断念し掛けたものの、飯を食っては復活し、道は開かれた。藪程ではないが、あまり歩かれていない素振りの山道である。恐らく縦走者は聖方面への近道、百間洞山の家を経由してしまうため、大沢岳の人気は一気に凋落してしまっているかのようである。これは或る意味、今迄在来線特急が停車してソコソコ観光収益があったにも拘らず、新幹線が開通したが新幹線停車駅でなくなったために一気に利用客が激減してしまった田舎の駅に酷似している。大沢岳への登りは飯後・空身にも拘らずかなりの難儀を強いられた。会長は一瞬怯んだのか、ハイマツの茂みに後退してしまう。雲行きも怪しい。しかし、乗り掛けた舟、登り掛けた山に、抗う藪なければ、若干の疲労は暫し忘れて登頂に挑み続けるしかない。此処まで来て引き返しては、大沢岳の祟りに逢う事だろう。
信ずれば、山頂からは360°の大展望であった。午後に入って雲が多くなりつつも、風の流れによって視界は如何様にも変化した。
大沢岳を降りてからは、昼寝をすると夜眠れないとの会長の進言から、小屋のテーブルにておやつタイムをだらだらと過ごし、暫くしてからまた夕飯にした。昨日の麻婆春雨に近似しているがビーフンを拵え、その他色々と食卓を切り盛りした。食後に明日の天気をと、小屋内の食堂のテレビ前に方々からハイカーが集結していた。小屋内のメニューを見ると、一日9食限定のソーダブレッドなるものが気に掛かる。この山奥でパンを焼くのか。山小屋のスタッフとパン屋と言うアントニオ2大夢の職業の合弁である。成る程!是非次回は小屋泊を堪能せねば。本題の天気予報によれば、曇りのような怪しい空模様が窺える。昨日荒川小屋で見た其れとそんなに大差はなかったかも知れないが、明日くらいは覚悟を決めなければならないだろう。しかも、明日は今日昨日と比べ、コースタイムが2時間程長いのだ。心配だ。せめて、テント収納時くらいは雨に祟られないと有り難いのだが。不安は募るが、寝るしかない。
(続く)