深く、そして深く。(3)

不定期連載 山道をゆく 第103話
02/08/10〜  2002夏特別企画 深南
序章:
8/10(土) 庵庵−
8/11(日) −椹島ロッジ(泊)
8/12(月) …千枚小屋天場(泊)

中章:
8/13(火) …悪沢岳…荒川小屋天場(泊)
8/14(水) …赤石岳…百間洞山の家天場(泊)

最終章:
8/15(木)
…見晴台…中盛丸山…小兎岳…兎岳…兎岳避難小屋
…聖岳…小聖岳…聖平小屋(泊)

8/16(金)
…岩頭展望台…聖沢吊橋…聖沢登山? 〜畑薙第一ダム−ちいさなごはんやさん
−もりのいずみ−羽鳥IC−R1−サンテラス−三島−御殿場ビールレストラン
−御殿場IC・よしの−御殿場IC−東名町田IC−庵庵

・:電車、〜:シャトルバス、−:車、…:歩き
 
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最終章:俯角
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遂に。
テントのフライシートにポツリポツリと水滴の叩く音が。目覚めたくない気分であるが、今日は最
長コースタイムのスケジュールなのでもたもたしている訳には行かない。しかし、一つだけ安心な
のは、次の聖平小屋天場のキャパが百間洞の3倍のため、此処の軍団の中の末席でも何とか場所は探せるであろうと言うことだ。急ぐことはない。到達出来ればそれで良い。朝飯も結局テントの中で湯を沸かして餅入りスープで軽く仕上げ、重い腰は上げなければならぬ。周到な会長はこのような場合でなければあまり使い道はないであろう折り畳み傘を駆使して何とかテントをザックへ押し込み、いざ出陣となった。
霧雨に偶に風も混じる。山の家脇を掠め、見晴台への登りに差し掛かる。気は重い。今日の展望はダメだろうか。希望の日は見えないのだろうか。レインウェアもザックカバーも偶には本番稼動させる必要があろう。見晴台はガスに包まれ、続く中盛丸山、小兎岳に良い印象を探す術もなかった。イブキトラノオは今更ながら何も言わなかった。風は時折勢いを増し、抵抗勢力とも後押し勢力ともなった。薄日の一つ、射さないだろうか。
嵐吹き荒ぶ兎岳を乗り越え、お花畑の先に、兎岳避難小屋、通称兎小屋が目に入った。おぉ、これは正しく大船山避難小屋と瓜二つ、地図上の「荒廃」の2文字が示す通り、この小屋での越晩には相応の勇気が必要であろう。それでも屋根はあるので、担いで来た水を沸かして味噌煮込みうどんと相成った。重苦しい天気の中、其れ程食は進まなかったが、食うことに因って何か活路が見出せないか、食ってる最中に天候が激好変しないか、少し頑張って多くの麺と出汁を喉に通した。即ち、雨脚は少し強まった。しかし、若干の、勇気が涌いたような気がする。
聖への道は永遠に感じた。兎小屋でうどんを食ってエネルギーを補給していなければ、途中で挫折していたことであろう。風雨も容赦ない。自然の裏表。偶には雨も必要だ。この嵐は、聖からの残暑見舞いか、終戦への黙祷か、はたまた、聖は光とセットでまた次回の縦走時にゆっくりと、との本ツアー見限り見解に対する叱咤か、聖への山道は、無限のようであった。ガス中に前方を見上げれば、嗚呼、もうあそこが山頂か!と幾度騙されたことであろう。偽聖第8程度はあったのではなかろうか。我々の前に、本当に聖は登場するのだろうか。不安は募る。
兎小屋から約2時間、ガスの中に何も発見不可能なれども、幾人かのハイカーが憩っている前聖岳山頂に到達した。気力を振り絞れば往復50分の奥聖岳に赴くことも吝かではないとは思ったが、この天候に何を探しに行くのか、目標の見えない旅には残念ながら触手が涌かなかった。無理して来た聖岳、結局リベンジをしなければならないであろう。日本最南端の3000m峰である。嵐の中に、都はござるか。。。
休憩時間もままならない。暫く止まると体が冷えてしまうのだ。前聖岳からは、風雨とアップダウンに疲れ切っている筈が、快速運転に切り替わった。聖平小屋までは下り一辺倒のようである。地図上の危険箇所マークが2箇所くらいあったようだが、滑り易い砂礫状とか、痩せ尾根とか、もう全く気にはならなかった。或る意味好天でないからインパクトが薄かったのであろう。気が付かないうちに小聖岳も通過してしまったようで、またお花畑も広がり、漸く易老渡方面への分岐点に差し掛かった。トリカブトにシナノキンバイが勢い良く、正しく咲き乱れていたが、残念ながらこの天候では気勢を上げる発奮材料とはなり得なかった。申し訳ない。君等に何の罪はないのだが。
何とか、聖平小屋に到着。結局コースタイムは1時間程短縮出来たようだった。だが、明日の天候さえ覚束ないのであれば聖平小屋には残念ながら用はない筈だ。翌日のコースタイム11時間下山ルートの選択肢は、リスキー過ぎて既に廃案となっていた。この勢いで椹島、或いは途中の山小屋まででも降りるべきだろうとの提案である。コースタイム8時間コースを、兎小屋でうどんを食いながらも7時間に収めているのだ。更に4時間は必要だが、案外速く辿り着けるのではなかろうか。
しかし、7時間も風雨に晒され続けた彼等の疲弊感が、聖平小屋停泊を唯一の方位磁針とする解のみを残した。暫し途中に山小屋があると思い続けていたが、地図を再確認すれば小屋跡地程度で、とてもではないが兎小屋の荒廃振りからして地図上の形容を受容せざるを得なかった。
止むを得まい。明日の天気は明日次第だ。意味不明な念じによって何とか心の整理をし、聖平小屋の門を叩いた。素泊まり寝具有り旧小屋であれば更に500円引きだと言う。やれるか、オイ。
 

料金を払い、旧小屋の場所を聞いた。
「直其処ですよ」

戦慄が走った。トタン壁の建物が、直目に入った。何かの間違いではないか。人が安心して居住可能な建造物であろうか。防寒体制は万全だろうか。
瓶が森ヒュッテの悪夢が鮮明に蘇る。忘れもしな
い昨年の黄金週間のことである。愛媛は石鎚山からの縦走3日目である。2日目から今回のように天気が芳しくなく、折角担いだテントあれども天場で広げる気力も起きず、素泊まりで屋内に寝床を確保する意思であった。寝具の有無で料金が違えば、寝具所有者向けの掘建て小屋を利用してくれとのことであった。それが、恐るべきトタン小屋であった。扉の建付けは、日本の居住物とは言うには恥ずかしい程のずれ、或いは抜けと言うべきか、を呈し、未だ春には程遠い寒風に懲らしめられた次第である。テントの中より寒い。屋内に居る気分は微塵もなかった。仕方なく、部屋内にテントを張るしかなかったのである。小屋の風上にも置けない、そう、風上に置いたら寒くて誰も停泊は出来ない、瓶ヶ森ヒュッテの離れ小屋であった。
あの悪夢だけは避けたい。これはきっと寒い、間違いない、何のために小屋に泊まったか理解に苦しむことになる、と隊員に念押しし、全会一致で追加料金覚悟で新小屋に落ち着くことになった。
成る程、畳部屋に番号が並んでおり、指定された場所に寝袋を敷けば良いと言うことか。この番号制さえあれば富士山のような収容所生活の可能性は考えられまい。実際、小屋の2階には終ぞや宿泊客が入らなかったくらいの混雑振りのようであった。
今日山を下りられず、明日の天候が如何程か心配なアントニオも、なんとか雨中に精神的活路を見出さんと、食堂に赴いてはピザ麦酒を所望した。トマト、ハム、チーズ、ピーマンと、何の変哲もないピザではあるが、間違いなく冷凍物の既製品とは明らかに趣を異にしていた。標高2500mにて、台風一過を告げるこのピザは無上の喜びだった。
そして夏眠を貪った。テント設営の面倒もなく、しかも硬くて気持ちの良い畳の上、寝袋を敷いて
まどろめば快適の雲上であった。
新小屋内は火気厳禁とのことで、晩飯の間だけは旧小屋の門を叩くことにした。意外や意外、中は整頓されており、これならあの時程寒さに懲らしめられることもないかな、と若干の悔恨が残った。瓶ヶ森ヒュッテも見習うべきだ。まぁ済んだことだ。
16時頃にはかなりのスペースが埋まっていたが、階段裏の場所を拝借しては旅の残り物を処分することとなった。味噌汁には増えるワカメを大量に投入、五目御飯は1人で2人分ずつはある。高野豆腐、ヒジキ入りサラダに昆布、胡麻など、余ったようで其れ程多過ぎることもなかったが、南アルプス最後の晩は鱈腹食わせて貰った。縦走3年目で段々と荷物の量の加減が見えて来た。大分荷物も軽くなった、なった。
麦酒などアルコール類の提供は18時まで、そして消灯は20時と、周囲の山小屋より更に早寝なルールではあるが、潔く遵守すべきである。晩飯を食って寝転がれば、中々寝疲れない。昼寝が祟ったのか、はたまた2500m程度の地にて覚えず高山病になり掛けてしまったのか。まぁ良い。明日は下山のみだ。焦ることもない。
雨は上がった。好天の他に表現は見当たらない。昨日の嵐は何だったのか。しかし、予報に拠れば、午後以降や明日も天候は芳しくない様子だ。しかし、聖平の小屋に泊まった面々のうち、椹島へ下山するのは我々の他数名程度で、残りは今日中に茶臼を越えて光岳まで遠征するようである。光山域は、小屋内40名、テントは10張りとかなりキャパは狭いと言うのに、是では椅子取りゲームは必至である。しかも悪天が重なりそうだと言うのに、、、彼等の冥・・・否、健闘を祈りたい。来年は我々もそちらに歩を向けるかも知れないから。
悔しいが、上河内や茶臼小屋経由の11時間コースへの未練は微塵もなく、そのまま聖沢へ急降下するのみであった。午前4時はさすがに薄暗く、先頭を歩くのはかなりの難儀ではあったが、大分椹島ロッジの生ビールジョッキの輪郭が鮮明になってくれば、エンジンの回転数も徐々に上昇した。目覚めたばかりの聖沢大滝が眩しい。富士山の次くらいに水に惹かれるのは、島国日本人の清らかな精神の一塊を意味するのであろう。地図上の「小屋跡」は文字通り跡であり、小屋として利用することは不可能であった。
しかし、下りも矢張り飽きる程長かった。南アルプスの奥深さを今日までも思い知った次第である。小屋から4時間、漸くあの日の林道に到達。やった。しかし、聖沢登山口には空しくも、シャトルバスには此処からの乗車は不可能との看板があった。シャトルバスに乗るには、椹島まで戻らねばならなかった。林道を歩く中、2台のバスと擦れ違ったが、悉く無視された。帰路のバス乗車には、東海フォレスト社経営山小屋の領収書が必要とのことで、バスが通る度に領収書を見せ付けたのだが。確かに、途中でバスに拾われてしまったら、麦酒にありつくまで相当の時間を要したことであろう。駐車場への早着か麦酒か、究極の選択であった。麦酒で心と胃袋を洗うか、温泉に早着して体を洗うか、究極の洗濯とも言えよう。
林道は長かったが遂に椹島ロッジの看板が!我が家に舞い戻った心境である。バックストレッチを駆け抜け、取り急ぎバスの予約である。予定通り10時の便に乗れそうだ。19番から21番だから、今日もバスぎりぎりだ。後数人分遅かったら、更に一時間は待たされるに違いない。そして、10時まではたっぷり時間があった。生麦酒を胃に注ぎながら、晴れ渡った天場で大物干し大会である。レインウェア、ザックカバー、テント、、、湿った物を思う存分放り投げた。椹島の大地に否応なく降り注ぐ陽光に、干上がるのを待ちながら、ジョッキを傾ける朝の至福の一時。やれることはやった。
しかし、レインウェアは泥汚れが酷く、一旦水洗いをしたのが拙かったのか、なかなか思うように
乾かず、あれよあれよと言う間にバスの時間となってしまった。いかん、あと数分、乗り場に向かい遅れていたら置き去り状態であった。バスは我々の乗車のみを待っていた。他の乗客は既に着席状態である。嗚呼、また今日も助手席か。いいさ。最後の1時間だ。
往路の戦々兢々、殺伐とした車内とは打って変わり、どのメンツも一仕事を終えた解放感からか、自ずと他人でないような気分に駆られるようで、今日の今会ったばかりなのに仲間のような心持ちで会話も弾んで行った。隣りの乗客はなんと山口から遠路遥遥南アルプスを目指したらしい。そう、北アルプスとはどうも客層が異なる気分はひしひしと感じてはいた。西の人が多いのだろう。しかも、かなりムチャな行程計画が殆どのような気がする。それは、偏に、再チャレンジにもまた命懸けくらいの面倒になるからであろう。山口の何処ですかと尋ねれば、岩国と言う。おぉ、岩国!
「そう言えば、とあるCATV会社の設備設定の仕事で一度お邪魔しましたよ」
「○○○○○ですか。私もそのうちやりたいとは思ってるんですがね。。。」
世間は狭かった。岩国には他にCATV会社がないのかも知れないが、正しく隣りのハイカーが言及した会社に、アントニオは出張していた。
「帰りに宮島口で途中下車して、穴子飯を食いましたよ」
「うえのですよね。」
当然の成り行きであった。創業130年、CATV会社には申し訳ないが歴史の重みが違うのだ。
あれこれと会話が弾むうちに、今回はロングフライト症候群に陥ることもなく、駐車場に舞い戻っ
た。暑かった。甲子園で校歌を歌った後のような暑さだった。下山届を認め、長く世話になったブーツを脱いでサンダル履きになり、先行く山口県勢に手を振り、そして、戦場に別れを告げた。
さて、風呂、ビール、飯の三段活用は満たさねばならぬ。此処畑薙第一ダム駐車場にはトイレこそあれども売店の微塵も見当たらぬ。遥遥また畑薙湖沿いを南下して、町に出なければ、、、
昨晩の県営聖平小屋にて入手した観光パンフレットには、猪鍋の美味そうな写真が我々を惹き付けて止まなかった。市営温泉白樺荘は、無料故か金曜日の午前中から駐車場に車が溢れていた。ううむ、長い長い縦走の後には落ち着いて雰囲気を楽しめる温泉に浸りたい、その思いで白樺荘はパスすることになった。
井川駅まで到達して道を間違えたことに気付き、数分戻る。嗚呼、観光案内看板こそあれども、地名を指す方向看板すらない交差点であった。なんと不親切な道路であろう。長い道程である。今日の道も細い。静岡県は縦に長く、細い。しかし、この道が一度太くなってしまえば、畑薙の上高地化も時間の問題であろう。其れだけは避けねばならぬ。自然を愛でる余裕は、あの地には残念ながら庵的には感じることが出来ない。観光バスの排ガスがどの程度悪影響を与えているのか理解されているのだろうか。決して悪い場所ではないのだが、あまり良い印象はない。
今日の道も口坂本状態である。この奥大井の地は、何処から辿り着くにも口坂本の関所を通らねばならぬのか。それは不便であると同時に、致し方ないとも思える。口坂本にも五分の魂である。
温泉の手前に、猪なんたらとの看板が目に付いた。此処だ。第6感によって、急いで通り過ぎた店に引き返した。ちいさなごはんやさんと言う。その通り、小さくて、拘りのありそうな親父が切り盛りしており、これはひょっとして当たりではないかと直感した。生ビールはなかったものの、缶ビールがここぞとばかり冷えており、胃に染み染み渡る。そして、待つこと10分程か、この店に猪の絡むメニューは是しかない、猪肉弁当が登場した。猪肉と山菜などのバター炒めをご飯に乗っけただけである。舌の上で蕩ける、猪肉。猪鍋なんて冬の物だろうから有り付ける訳がないと思っていた矢先の猪肉である。ちょっと注意していれば誰でも気付く猪肉である。正しい猪肉だった。正しいとは言い過ぎかもしれないが正しく俺の猪肉だった。否、俺の想像を遥かに越えていた。完敗だ。舌が調子に乗って足を踏み外し、大井川に転落しそうな勢いであった。猪肉を、見た。違いの解る男、ゴールドブレンド、猪ラベル。
最近順番がかなり怪しくなってきた風呂、ビール、飯の三段活用も一巡し、白沢温泉に到着。お昼時で休憩所が芋洗い状態だったようだが、風呂場は思いの外空いており、露天に繰り出せばやや温めの湯の向こうには白濁の大井川の清流が広がっていた。我々は6日間掛けて、大井川の源流を巡って来たのだ。牧ノ原台地の数十万の、生活の幸を、祈りながら、川は下る、駿河の海へ。
逆上せる前に湯上りし、そして、今日何杯目か判らないゴールデン・ウォーターのジョッキを傾け
た。摘みに所望した鴨刺しは解凍ものと聞いてややショックを受けたものの、こちらの味も申し分なかった。
そして国道を下り、静岡市内に入ると、会長が空腹を訴え始めた。取り急ぎ運転を交代し、R1に針路を変えた。此処で私の失言が祟ってしまうとは予想だに出来なかった。
高速に乗らないで、三島で鰻を食ったらどうか。
バイパス路は概して快適ではあった。憧れの由比の海岸に辿り着いた頃にはかなり雲行きが怪しくなっていた。沼津を過ぎた辺りから、思うように進まない。更に会長が、CDショップがあったら、ジュリー・ザ・ベストを買いたいなどと言い出した。三島市内に入って滞りに嵌り、ちょっと大き
目のスーパーが目に入ったのでCD売り場くらいはあるだろうと寄って見た。恐ろしいことに、その建物内にはジュリー・ザ・ベストは愚か、CD売り場さえないとのことである。三島は三島でどうやらお祭り渋滞の様相でもあった。渋滞に疲弊し、ジュリーだろうがヒデキだろうがナンだかどうでも良くなってしまった。そう思うと鰻も、サービスする店が集中しているだけで産地が何処だかはっきりしないのであれば、段々と触手が薄くなって行く。更に、混雑の最中駅前付近に迷い込んだ挙句、ハンドルを切った方向は、鰻屋界隈とは明後日の方向であった。斯くして、ジュリーと鰻の夢は断たれたのである。
山の方向を目指している。何とか、疲弊の先に光明を見出さんと、確か御殿場に地ビールレストランがあったではないかとコレマタ結果的には廃案としかならなかったプランを思い付いてしまった。日もすっかり落ち、御殿場から幾重の山を越えれば、もう20時過ぎだと言うのに山間に煌々と照り輝く異様な空間が出現した。地ビールレストランの閉店までには間に合ったようだ、、、との期待も空しく、この期に及んで恐ろしい待ち行列らしい。この空間に夜は存在するのか、と勘違いする程の盛況振りであった。仕方なく、外売りヴァイツェンボック1杯で勘弁してやることにした。この1杯が非常にフルーティーであったことが不幸中の幸いではあった。
ガックリすごすごと御殿場IC方面に戻りながら、物を食わせてくれそうな店を探すも、どうも我々
の目指している物と趣を異にする店と、大行列の店以外、中々見付からなかった。会長が空腹を訴えていたのは3時4時頃だったと思えど、既に9時を回っている。あれこれと議論の末、IC周辺界隈の片隅にある焼肉屋が待ちなしで入れる、とのことで長かった食堂選びにピリオドが打たれた。しかし、3人とも様々な疲弊に打ち拉がれた挙句の様相で、食欲は通常の半分程度であったような気がする。何時もなら、肉を食らわば皿まで、と言った面々の筈だが。今回の教訓として、欲張りはいけないこと、そして、ジュリー・ザ・ベストは出発時点で装備しておくこと、是を肝に銘じて、今回の旅の終わりを告げたい。
今回のキャスト:
フジアザミ、サワギク、チシマギキョウ、
タカネマツムシソウ、オオハナウド、サラシナショウマ、
ヤマトリカブト、ニッコウキスゲ、チングルマ、クルマユリ、
シナノキンバイ、トウヤクリンドウ、ハクサンチドリ、
ショウジョウバカマ、イブキトラノオ
その他、多数。
(完)
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付録:

山旅アドバイス
・兎に角縦走には乾き易い衣類を。
・行動食や酒の摘みにバナナチップはお勧め。
・ちいさなごはんやさんの猪肉弁当の外売りはなし。
・宿・天場には遅くとも14,5時頃には到着するべき。
・夏とは言え吸熱反応でコンロに火が付き難いことも。
・畑薙ダムへは清水方面、静岡方面、金谷方面どちらからも
道が狭いので高速運転は控えるべし。
・今回の全ての宿に水洗トイレが配備されているのには驚いた。
山のトイレは本来そうではない。