過ぎたるは

不定期連載 山道をゆく 第137話
03/09/07 太郎山
03/09/07 山王帽子山(庵選千名山237)、小太郎山、
太郎山(日本三百名山、関東百名山)
【過ぎたるは】

9/6(土)
庵庵−R1−戸越IC−首都高5号線−首都高川口線−蓮田SA−

9/7(日)
−佐野SA−宇都宮IC−R119−R120−光徳アストリスホテル駐車場
−光徳駐車場…山王峠…山王帽子山…ハガタテ薙旧分岐…小太郎山
…太郎山…裏男体林道…光徳アストリスホテル…光徳駐車場
−三本松の茶屋−R120−清滝IC−宇都宮IC−佐野SA−首都高川口線
−首都高湾岸線−首都高横羽線−三ッ沢IC−庵庵

−:車、…:歩き

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時に、来週早々に会社の健康診断である。普段の健康状況を厳密に診断すべきとの意見には目を瞑り、減量最終調整にガツンと強烈な山を欲していた。北ア・餓鬼岳10時間コース、或いは賛同者の存在次第では有明山8時間コースにでもと目論んでいた。賛同者を募ったところ、レベル格下げ要求も挙がり、早速2プランを追加考案した。何れも賛同者側は1山で抑え、アントニオは庵速で2山を巡ろうというものだ。飯縄・戸隠案に、至仏・笠の2案だが、知人の出発時間の都合により、近めの至仏案に決定した。氏も土曜日まで業務が入り込んでいるようで出発も遅れそうである。アントニオ一名ならば19時頃にでも出発していようものの、22時に氏の住む門前仲町を目指し、即ち北アとは逆方向に車を走らせていた。R1は程ほどの混雑状況で、30分程で川崎市内に突入、念のため氏に確認のメールを入れた。所が氏の業務の進捗が芳しくなく、山行には参加断念とのことであった。さて、困った。地図は至仏周辺のものとガイドブック1冊分しかない。休部号が将に東京都に入らんとしている最中、今更自宅や中央道に戻りたくはない。ううむ、取り急ぎ予定通り至仏・笠を目指すとするか、戸越から首都高に乗った。首都高も一部を除いて順調に流れていた。5号線から外環に入れば関越道もすぐだろうと思いきや、5号線から安行へのルートなんてのも開通しているではないか。東北道か、、、ピンと閃いたアントニオは、針路を首都高川口線へと向けた。東北道は宇都宮まで3車線区間が続き、何時もの中央道と異なってキャパシティに多大なる余裕を感じた。目指すは太郎山8時間コース。宇都宮手前で下車して国道に頼るか迷ったが、バイクのツーリングマップのロード快適度を参考に、宇都宮IC下車にて日光・宇都宮道路を並走する国道を利用することに決定した。この時間帯ならば国道も空いており、高速に頼る必要もなかろうかと。
宇都宮ICで下車してR119に車を向けると、おぉ、代行車が多い。飲酒運転への規制が厳しくなったためか、或いは元々其のような文化なのか。行き先は坂本地区、或いは畑薙ダムか。日光市内に入るとさすがにジモティは減り、観光客或いは走り屋のみが深夜のR120を爆走していた。ゆっくり走っている四駆車が左脇へ寄るので追い越させて貰ったら、此方がハザードも点滅させずに追い抜いたので怒ったのだろうか、先程までのスピードとは裏腹に恐ろしい速度で急接近して来た。先に行くならとっとと行ってくれればいいのに、此処で悶着を起こしては夜明けに山の神の逆鱗に触れかねないため、四駆には道を譲り直した。常日頃から他人を思い遣っているようには見えない癖に、いざ親切にしたら即座に見返りを期待する。精神的に余裕がない若者が多い。世知辛い世の中である。
殆ど全てが走り屋だろうか、馬返しにて若者達が仰山屯していた。休んでいるなら先を行かせて頂く。抜くなら勝手に抜くが良い。第二いろは坂は2車線なのだ。煽るのだけは勘弁してくれ。然し、大人しく左車線をトロトロ登っていても、終ぞや追い抜かれた車は1台のみであった。彼等は未だ集合時刻には早過ぎたのか。もう少し、地球に優しい遊びを覚えて欲しいなぁ。
中禅寺湖を過ぎて対向車も皆無に等しく、竜頭の滝脇を登って戦場ヶ原に到達したのは1時半過ぎであった。R120から逸れて少々進むとキツネらしき動物が道に戯れていたのか、オレンジ色の休部を見つけては並走していたし、ガイドブックには無料駐車場の存在が指摘されていたものの、光徳アストリスホテルの駐車場の先が不明なため、空きスペースを貸して頂こうと思いきや、鹿が駐車場を案内してくれていた。いやはや彼等の居住地区だったか。騒がしてしまい済まんのう。ホテル駐車場は外灯が眩しかったが何とか車で横になった。
夜が明けた。今日は寝坊していない。と言うか粗寝てなかったような気がする。木陰の向こうに更に駐車スペースらしきものが発見された。嗚呼、其処に停めるべきだったかと申し訳無く車を移動し、支度を済ませて歩き始めた。
駐車場にはキャンピングカーも多く、此処から太郎山を目指してプチ縦走するものも皆無だろうとは思ったが、涸沼までの散策者も通るルートの様で整備具合は万全であった。寝不足気味ハイテンションアントニオの大腿二頭筋は唸り、白樺林に揺らめく木漏れ日に光合成は活躍した。意気揚揚と山王峠に踊り出でれば、太郎山直行コースは猛々しい笹薮に見舞われ、笹に付いた昨晩の雨または夜露をズボンで拭き捲くるしかなかった。数分の笹薮彷徨で忽ちズボンは水が搾れそうになった。ズボンに吸収されて行く水分と共に怯みは勢いを増した。太郎山までこの連続か。然らば一旦光徳に下りて車で裏男体林道側から安直登頂を目指すべきか。取り急ぎ、山王峠から涸沼方面に進めば林道にぶち当たって其の後の判断も出来るであろうとの考えに至った。雲はあるが青空が広がっているではないか、何故我がズボンはずぶ濡れなのか。ううむ。
果たして、涸沼方面へ進めば寸分で舗装された林道に合流し、太郎山方面への続きを模索した。案の定、藪化していたのは先般の区間のみの様で、再び良く踏まれた山道を闊歩する意欲を回復し、日の光を浴びた。然し、案外ガスも手強く、目くるめく視界に一喜一憂しながら先ずは寂しげな山王帽子山を通過した。そして、ガスに再び埋もれて意気消沈した矢先のことだった。
「ガンバレ山頂迄あと10分」福岡かんだ猿
パネルが此処にも!ぬヴぉ〜!こ、此処にまで苅田猿氏のメスが!!常念岳、燧ヶ岳、万二郎山、寒風山、茶臼山、北横岳、石割山、扇山、そして山王帽子山。神奈川ずんだ猿もうかうかしては居られまい。
やがて、力強い光明が戻って来た。望む所だ、太陽よ、どうか太郎山で俺を迎撃してみろ。然し、足元には笹が繁茂して太郎山への道はまたとなくプチ藪化していた。あまり歩かれていないのだろう。幸い、山王峠の其れよりは遥かに生易しい笹薮はアントニオ劇場の登場人物に昇格していた。怯念を笹薮の下に埋めながら戦場ヶ原の更に高地に秋風を感じると、多少の視界の悪さには目に瞑れそうな気分であった。小太郎山にも真白な視界が待っていた。時折太陽の強光を感じるも、結局は仙丈ヶ岳山頂の二の舞であった。白さは濃さを増せども薄まりはしない。嗚呼、今日は0勝3敗に終わってしまうのだろうか。私は太郎山に何を求めに来たのだろうか。は!失いに来たのだったか・・・
果たして太郎山山頂には、ガスとLukeが居た。氏は昨日から日光連山入りし、明日湯元から下山すると言う。昨日は雨の中、女峰山を闊歩して志津乗越小屋に泊まり、今日、志津林道側から太郎山頂に至ったと言う。昨日が雨ならば、笹薮にズボンがずぶ濡れなのも合点が行くか。浜松から青春18切符でやって来たと言う。日本の若者が忘れた全国フリーパス、青春18切符だ。全盛期から20年は経過しているだろう。18キッパーの嗜んできた夜行普通列車も方々で廃止されて行った。はやたま、山陰、ながさき、からまつ、上野発長岡行き、高松発高知行き、新宿発長野行き、もっと走っていたかも知れないな。各駅停車の山旅は、アントニオも少々忘れ掛けていた。自家用車を購入してしまった今、其の忘却は加速する一方だろう。今一度、鉄道利用の気楽な旅を再発見する必要性を、青い目の青年に教えて貰ったように思う。
一昨年前秋、豪快な秋晴れの父:男体山を闊歩し、昨年も矢張り秋、雲間を縫って母:女峰山を訪れた。そして今日、息子:太郎山である。この天気は不肖なのか。否、庵の行いの仕業か。そして、太郎には未だ2人の兄弟が居るのだ。連山ファミリーは3年にしてならずじゃ。
Lukeはテントをも担いで来ていた。湯元温泉のキャンプサイトは確か8月一杯で営業を終えてしまうことを週刊日本百名山で確認したような記憶が過ぎり、アドバイスをした。ガスが退く気配もないが、氏は是から火を起こして炊事でもするようだった。移動しないと体が冷えてしまうので、氏の無事を祈りながら、明け遣らぬ山頂を辞した。
7,8分下るとフィールドが広がった。お花畑はシーズンを終え、モノトーンの笹の色が諦念を助長していた。もう今日は晴れ渡ることはないのだろうか。周辺に憩うハイカーと軽く会話をしながら、こんな日も仕方ないさと三本松へとまた歩を進めた。
我が意に反し、徐々にガスは去って行く。庵と共にガスは去って行く。大真名子山、小真名子山の山頂からすっかり雲が切れ、男体山の其れも残り僅かとなっていた。ただ、太郎山には名残惜しいらしく、周囲のどの山よりも白い気体は未練を残していた。其れでもアントニオが標高を下げながら振り返る度に太郎山の山容は明らかになって行く。今山頂に居さえすれば、もう思い残すことはないかも知れない。過ぎたる庵速は及ばざる亀速が如し。今から登らんと欲する幾重のハイカーと擦れ違いながら、一人麓を目指し、白樺の木漏れ日に揺らめきながら微風に靡いていた。また、来ようか。良い風だ。
やがて、舗装された裏男体林道に合流し、とぼとぼと歩き続ける。カラマツの木漏れ日がまた柔らかい。思わず猿も飛び出した。そうか、此処は君達の生活空間だね。邪魔してすまないね。
三本松の茶屋に後ろ髪引かれながらも、ホテルのレストランでも補給は可能かと閃き、一目散にホテルへと針路を変えた。8時間コースを何とか6時間程度で満了し、アストリスホテルの玄関を叩く。アストリスホテル、11時半からレストランも営業とのことだが、閉まったカーテンがピクリとも動く素振りを見せない。ロビー掃除夫も、アントニオの風体からして金撒き客とは認めなかていないのか、声を掛ける素振りすらない。カーテンの隙間から室内を覗いても、誰か準備をしている様子もない。営業する気が無いのか。斯くしてアストリスホテルはアントニオから搾取することは出来なかった。残念なことである。
ただ、下山直後に一杯も無いのは痛い。脱水症状を補うため、三本松にて茶屋に寄る。涙を飲んで薄い麦茶に甘んじた。薄い、薄過ぎる。是ならば飲むべきではなかった。悔恨に苛まれた喉は、真性麦茶を欲していた。
昼間のR120にはサンデードライバーも多い様子で粗方予想通りの交通量であった。先程まで雲は多いが晴れ上がっていた戦場ヶ原から、竜頭の滝下方面へと標高を下げていくと、中禅寺湖の対岸はガスの先に行方不明となっていた。其れでも売店や展望台などのスポットに寄ろうと右往左往するファミリーカーは渋滞の元凶となっていた。第一いろは坂も九十九折に慣れぬマイクロバスが足を引っ張っりながら先導している。馬返しを過ぎるとウソのように流れ、日光・宇都宮道路はブルジョワのみが選択する閑静な高速道と化した。自動料金収集機に未だにクレジットカードが利用出来ず、驚愕を覚えた。料金所の人件費を抑えたとしても、不採算路線の王道を貫いていそうで、ETC設置までは半世紀程度の歳月が必要かと思われる。
東北道も快適であった。やはり3車線は強い。佐野SAのガソリンスタンドのスタッフの慣れぬ手つきに梃子摺らされたことを除けば、遥かに順調な帰路であった。川口線も湾岸線も、交通量は増えたが順調で、何時の間にか三ッ沢ICを抜けていた。庵庵到着は若干3時15分であった。第一いろは坂以外は本当に流れていた。正午に三本松を発ってから3時間15分と言う快挙である。この記録は安全保障上封印する必要があるかと思う。高速料金に大分投資した見返りか。然し、もう少し払ってもいいから、便利にならないものだろうか、中央道よ。

(完)

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付録:

山旅アドバイス
・太郎山以西の秋口は笹薮で道が見え難い箇所有り。
雨天および雨天直後の時は特に注意。
・裏男体林道は舗装されている。若干台の駐車スペース有り。