二死

不定期連載 山道をゆく 第138話
03/09/13〜 立山・剱岳
03/09/13〜 雄山(立山三山、庵選千名山238)
大汝山(日本百名山、立山三山、庵選千名山239)
富士ノ折立(庵選千名山240)、真砂岳(庵選千名山241)
別山(庵選千名山242)、北峰(庵選千名山243)
一服剱(庵選千名山244)、前剱(庵選千名山245)
剱岳(日本百名山、庵選千名山246)
【二死】

9/13(土)
庵庵−R16−相模原・吉野家/ESSO−八王子バイパス−八王子IC−双葉SA
−豊科IC−大王わさび農場−扇沢=黒部ダム…黒部湖〜黒部平≡大観望
=室堂…みくりが池温泉

9/14(日)
みくりが池温泉…室堂山荘…一ノ越山荘…雄山(神社)…大汝山
…富士ノ折立…真砂岳…別山…北峰…別山…剱御前小舎…剱山荘

9/15(月)
剱山荘…一服剱…前剱…剱岳…前剱…一服剱…剱山荘…剱御前小舎
…雷鳥沢ヒュッテ…地獄谷…室堂=大観望≡黒部平〜黒部湖…黒部ダム
=扇沢−薬師の湯−カルビ大王−豊科IC−双葉SA−大月IC−R139
−県道35号−R412−県道507号−R16−庵庵

−:車、…:歩き、=:トロリーバス、〜:ケーブルカー、≡:ロープウェイ

☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
先週は欠場を余儀なくされた座氏が虎視眈々と連休中の秘策計画を練っていた。2泊の余裕から富山県へと矛先を向けることになった。今週もアントニオは業務が終わらぬ日々が続き、深夜出発も厳しく、土曜早朝に遥々鴨居へ寄って貰うことにした。
鴨居にて休部号に搭乗し、一路R16を目指す。3連休の土曜日朝の混雑振りとしては致し方ない交通量であった。腹が減った座氏は、矢張りブランド吉牛に心を奪われ、相模原にて朝食タイムとなった。食卓には今日も黄金水瓶が揃えられていた。人間も車も補給を済ませて再びR16に戻る。ほへぇ、八王子バイパスが斯くも数珠繋ぎとは、初見に等しい。ETC設置未遂が祟っているのだろうか。料金所を過ぎると其の前に遮る物はなかった。だが、やがて中央道へのルートには減速を余儀なくされ、元八王子バス停付近までの登りまで辛抱が必要だった。其の後は順調に車は流れていた。日の高いうちに中央道を走ることは滅多にない。特に諏訪湖や松本市街地の風景は何度も通過していながら新鮮に覚えた。旅に出ているのだな、我々は。
以後、渋滞もなく豊科ICに到着。雪山三昧で土地鑑豊富な座氏に運転を替わって貰う。そろそろ昼飯時か、大王わさび農場に足を運ぶ。吉牛から車に乗り続けたのみで大してエネルギーを消費していないにも拘らず、我々は昼寸前にガラ空きのレストランの門を叩いた。テーブルに着けど誰も注文を取りに来ない。訝れば食券制度のようである。見えるだけでも3人は従業員が確認されたのだから、客に対して何か声を掛けても良いと思うのだが。わさびスパゲティーとわさびビールを注文する。前者は山葵の茎が混入されているものの辛味は全く感ずることが出来ず、後者も色が緑で若干青味掛かった味ではあったが、アントニオに強烈なインパクトを与えることはなかった。山葵道四級以下の方も是なら問題なく食すことが可能であろう。腹ごなしに農場をプチ散策する。山葵農場、果たして我々が時間を掛けて見物すべきものなのか、との寸前までの印象ではあったが、確かに水は綺麗そうだ。山葵を是だけ植えていれば幾らでも食えそうに感じるが、農場内の鮎塩焼き処はどうなのだろうか。鮎も養殖で幾らでも確保出来るのであろうか。其の後、ファストフード売店前にて暫し悩んだ据え、250円を提出した。山葵入りのおやきである。おやき道弐段のアントニオとしては、他メニューより50円割高な山葵入りには躊躇はすれども避けて通ることは出来ない道であった。食後でやや満腹感があったにも拘らず、山葵おやきは歯応え十分の絶妙な風味でアントニオを舌を魅了して止まなかった。おやき道の王道が此処には存在した。
途中コンビニに寄りながら、扇沢へ向かう。大町温泉郷の先にまた今日も野生の猿を発見した。いろは坂や碓氷峠と違って此処は飛ばす車が多いから気を付けるのだよ。柏原新道入口付近の駐車車両数の多さに辟易しながらターミナルに到着したのは午後1時半過ぎであった。駐車場もタイミング良く空きが見付かった。座氏のJAF会員割引が奏功してアルペンルートも往復割引より更にお得であった。
関西電力のトロリーバスに乗るのは何年振りだろうか。ざっと20年は前の話ではなかろうか。急行アルプスで信濃大町に出て、朝一番のバスで扇沢へ向かった記憶が蘇って来た。当時は其の日の内に富山まで乗り継いで行った。室堂からのバス乗車区間が異常に長く感じられ、乗り物酔いをし掛けた程で、風景等を楽しむ余裕は余り無かったかと思う。最も、黒部湖ダムまでのトロリーバスは粗全区間トンネルの中ではあったが。
やがて、昨年大晦日のとある舞台で一躍人気を回復した黒部ダムに到着した。この人いきれは矢張り其の影響なのか。単純に3連休と言う要素を凌ぐ人気度を誇っているように感じる。韓国人や中国人の数も少なくはない。トロリーバス降り場からダムまでのトンネルの中に、ダム建設当時を凌ぐ記録写真が並べられていた。従事者の苦労や犠牲者発生の悲劇は残念ながら映像間を読むしかないし、此処周囲に群がる観光客のうち、果たしてどれだけの人が其処まで思いを巡らせているのか、知る由もない。雲の多い天気の中、今日も勢い良く放水されていた。あのエネルギーこそ発電に使えそうだが、東京電力は分けて貰っては如何なものだろう?黄緑色の湖面は内蔵之介カールの末端部へと続いているのだろう。山の溝に斯くも巨大な建造物だ。無数の人々の血と汗の結晶を慈しむには、少々短い乗換え時間だったかと思う。
続くケーブルカーは、周囲の景観を損ねないために全線トンネル内に敷設されていた。最大傾斜31°とは反り返る程かも知れないが、僅か800mの区間に歩道を設けてはくれないだろうか。黒部平からのロープウェイは、途中に支柱がなく、乗り心地の面では高得点だろうが、アナウンスの強調する安全性の高さはどのような理由による物なのだろうか。ドッキング式の救助形態のことか。ドッキングのゴンドラに乗せられたら恐怖感で心臓発作は免れないのではなかろうか。製造された当時では安全度は最上級だったのかも知れないが、、、ううむぅ。
大観望からのトロリーバスは、初めての乗車である。何故ならば、前回アントニオが乗車した時は、普通のディーゼルエンジン搭載のバスが運行されていたからである。電化は平成8年と言うから比較的新しい。だが、どう見てもバスの外観デザインは前近代的にしか感じられないのはアントニオだけではないであろう。今や日本全国で此処立山黒部貫光株式会社のと、先程乗ったばかりの関西電力の2区間でしか走っていないトロリーバスに、モデルチェンジを促すのは酷だろう。寡占市場だからデザインの平凡さの割に車体価格は異常に高額なのではなかろうか。
バス1台分が僅かに通れる狭いトンネルを抜けると、豪風とガスの世界であった。今日は温泉に直行するのみだ。散策は明日以降に回せばよい。難しいことは明日に考えよう。取り急ぎ、強風に抗いながら、WHITE BREATHを絶叫する西川貴教の姿を偲ぶ。
ものの十数分でみくりが池温泉に到着した。相部屋の場合も1ベッドに1人の割当のため、予約無しの場合は門前払いの可能性がある。この天候の中、午前中に双葉SAから予約したのだが、運良くキャンセルによって個室に空きが出たのが幸いであった。ラッキーである。無事の到着に感謝し、祝杯だ、祝杯だ。
山の上だろうが、ピッチャーの用意もある程、サービスは充実していた。中高年で騒々しい喫茶室を離れ、食堂を借りて乾杯をしているうちに天候は次第に悪化し、外は嵐となっていた。嗚呼、タイミングにも救われた。麦茶も美味い。
16時前入りして残念ながら夕飯の時刻は2巡目の18:45からとのことである。1巡目17:30頃から風呂に入れば空いているだろうと目論見ながら仮眠を貪ってみたら、仮眠に止まらず気付いたら既に晩飯の時刻であった。良く寝た、寝た。体が欲していた睡眠であった。晩飯も座氏も推薦する程のレパートリーである。素晴らしい。山小屋でなく此処は温泉宿なのだ。おかずの量も多く、このアントニオがご飯一膳でギブアップの音を吐くしかなかった。勿論、backet of beerが卓に並んだことは言うまでもない。然し、鱈腹飲み食いして麦茶ももう飲めない状態であった。
明日の天気は如何程か。今日午前中のインターネットによる情報では、午前9時頃まで雨で後は曇りのぱっとしない天候の様である。ううむ。明日も今日と似たようなものか。降られさえしなければ上等か。気を取り直すため、温泉に入るとする。地獄谷の硫黄泉が体中から疲れを抜き去ってくれる様だ。日本最高所の温泉。露天ではないが温い、温い。湯加減が適度過ぎる。幾千もの呪縛と言う名の疲労が体中から解き放たれるかの様だ。白濁の湯には唸らずにはいられない。風呂から上がり、歯磨きをして直に落ちた。
夜が明けた。窓外が青い様な気がする。ガンバレ太陽。天候の心配はひょっとすると不要かも知れぬ。ふふふ。6時からの朝食開始時は渋滞が必至との座氏の謹言により、6時風呂を嗜ませて頂く。朝風呂とは。忘れていた至福。嫌なことは硫黄臭の彼方に封印してしまえ。後は太陽の出番だ。風呂から上がれば食堂も適度な混雑具合、しかも和食のバイキングとはアントニオ泣かせである。日本人は和食だろう。納豆ご飯とメザシに味噌汁。山小屋の朝とは一風違った心遣いに胃袋も箸も踊った。今日はどうせ6時間コース、無理して弁当を頼んで5時台程度の早出は涙を飲んで辞退し、朝食付随の味噌汁で温まってからノンビリ行こうではないか。
室堂界隈は可也広範囲に亘って登山道が舗装されていた。登山道と言うより観光客の散策路と言うべきか。昨日はマッチロな中に魅力も失せていたみくりが池の水面が緑色に輝きを増していた。今日は残念ながら其の煌きに溺れていては先へは進めない。室堂ターミナルから僅か十数分、感動を覚えるのは困難であった。
一ノ越までも老々男女の団体が犇いていた。初心者にもお誂えな立山三山と言えよう。長野県側は白いバックスクリーンのままだが、富山県側はすっかり晴れ渡り、3,000m級の逍遥に陽光は多大なエネルギーを供給してくれた。海抜一万尺に鳥居有り、僅かに下った所に授与所を構えた雄山神社では暖を摂る必要性を感じる程、気温が低下していた。御守り売り場の脇にはカップ麺や飲み物等が所狭しと並べられており、我々も思わずカップコーヒーを所望してしまった。授与所の玄関は東側を向いており、白いガスに今日も諦念に助長させられていた。
然し、西側は箱庭の様だ。西を向いて、あるこおおう。大汝山からの眺望も秀逸であった。立山の町が明るい。稜線沿いにピークが幾重ものピークが並んでいる。雷鳥平には七色のテントだ。彼等は昨晩の天気を果敢にも屋外で耐えたのだろうか。南には五色ヶ原であろう。3年前のMMC初縦走時には日程の都合でアントニオだけ通過出来なかった天地である。全国に数多ある薬師岳の中で日本百名山に君臨する名峰も未だ踏みも見ず、なのだ。稜線は続くよ、何処までも。
富士ノ折立辺りまで進むと、どうやら東側の天気もジワジワと回復の兆しを見せ始めた。ふふふ、望む所だ。遠慮するな。真砂岳まで到達すれば、爺ヶ岳や鹿島槍などの遠映が鮮明に浮かび上がって来た。好天だ。台風一過、万歳。
別山までは、下ってはまた登り返す。五竜岳のシルエットも朧気に映る。そして、明日に目指す鬼岩城だが、山頂寸前までは明らかになったものの、其の鬼首部分は依然としてドス黒いガスの中であった。鬼岩城へのストーリーに相応しい。やってやろうではないか。別山から10分、北峰に進んだ所で状況に変化はなかった。いいのさ、行くのは明日だ。ガスは明日の分まで、今日のうちに暴れていて欲しい。
往路、車で移動している時点で未だ今日の宿の場所を決めかねていた。剱御前小舎か剱沢小屋か剱山荘か。御前小舎はホームページを開設していたが、他は未だであった。然し、地図に因れば御前小舎近辺に水場が無いのが心配の種である。御前小舎と剱山荘では片道1時間強の距離があるため、先ずは御前小舎が選択肢から外れた。そして今日、耳年増、否、情報収集能力に我々より一日の長がある座氏が擦れ違い様のハイカーから剱山荘には風呂があるとの非常に絶大な情報を入手した。アントニオも朧気ながら、剱近辺の小屋に風呂があることは雑誌で記事を見ていたが、山岳マップには其の情報が掲載されておらず真偽を確認することが出来ずに悶々とした日々を送っていた。今、此処に来て漸く氷解した。剱に一番最寄で混雑が予想されるとは言え、風呂は替え難いアイテムだ。2泊3日の本格登山にも拘らず、毎日風呂に入れる至福。此処は日本だ、風呂の国だ。素晴らしい。
御前小舎で小休止を摂ってからはまた山道は下りになっていた。嗚呼、帰路は此処を登り返さねば室堂側には戻ることが出来ないと思うと億劫だが、9月中旬に頑張って咲く残り少ない花々に声援を貰っては下って行った。
剱山荘へは1時頃には到着していた。今日は混雑は免れないであろう。荷物を部屋の外に並べ、取り急ぎは祝杯である。喫茶室には生麦茶サーバが存在したが、残念ながら本年度の営業は終了してしまった模様である。残念至極。ひょっとすると今年の8月は冷夏のために、一切動かしてはいなかったのかも知れない。だが、この奥地に何故存在するのか訝る間も無く、其の冷蔵庫から取り出されたスーパードライで喉を潤した。
おしるこだもの。
400円だもの。
ううむ、有り勝ちなキャッチコピーである。残念ながらアントニオの琴線に触れる程の言力は無かった。座氏と枚氏は喫茶室のドカベンを読み耽っている間、今後の混雑振りによる睡眠環境の悪化を懸念して、早々と布団にゴロついた。山荘の主に風呂の真偽を確認した所、3時半頃にアナウンスをするとのことであった。携帯電話の目覚ましをセットして横になるも、中々寝付くことは出来なかった。仕方なく持参した一昨日前の朝刊を貪るように読み、時間を持て余して再び喫茶室に戻ったのは3時過ぎだろうか。売店の反対側の通路に風呂の張り紙があるではないか!枚氏や座氏にアナウンスの有無を聞いて見たが、彼等は風呂よりドカベンに夢中になっており、アナウンスについては知る素振りもなかった。恐る恐る部屋に戻って風呂セットを持参し掛けた将に其の時、山荘の主からアナウンスが掛かった。アントニオの直前に若干1名。先を越された。然し、3,4人入れば埋まってしまいそうな脱衣場で瞬間脱衣によって形勢逆転、風呂場への扉はアントニオが開いた。尾瀬などと同様、石鹸シャンプー類は禁止ではあったが、疲労を抱えた日本人は其れでも湯船に浸かる必要があった。1番乗りだ。5人も入れば一杯となってしまう、家庭用の其れを1回り大きくしたような風呂桶ではあったが、また温泉ではなく湧き水を沸かした物ではあったが、皆風呂を欲していた。剱を目前としながら、この地にて風呂に入れる有り難さ。剱山荘は偉大であった。
風呂上りも一応床で横にはなっていたが、矢張り寝付かれることなく晩飯のゴングを聞いた。晩飯は宿泊者人数の都合で合計3回に分かれていた。午後1時過ぎにチェックインしたのだから我々は初回に食べさせて貰えるだろうとと思いきや、食堂への座席の割当はチェックイン順ではなく、食堂直前への行列へ早く並んだ者勝ちであった。やられた。だが何とか初回のタイミングで食堂への座席を確保するには成功したものの、其の行列は流石に凄まじく、事もあろうに食堂に通されるや否や、売店へ戻って麦茶を買い直すことを禁じられてしまったのである。昨日は山の温泉にして晩飯の食卓にピッチャーが並んだにも拘らず、今宵はビールなしを余儀なくされてしまった。
晩飯後、注目の阪神ヤクルト戦デーゲームや山雑誌を喫茶室で楽しんだ。阪神は我々の意に反し、またもマジックを減らせなかった。然し、山雑誌の泊まってみたい山小屋特集記事は注目に値した。温泉付き山小屋、飯の美味い山小屋、人や自然の温かさを感じる山小屋。何時かは山頂ではなく山小屋を目的とした逍遥も実現したいものだ。宿泊者の舌も越えてしまって山小屋側としての努力も大変ではあるが、近い将来に其の努力の結晶を味わってみたいものである。
午後7時半頃、漸く注文していた弁当を支給され、心置きなく就寝出来る段取りではあった。幾度も主が、剱直前の山小屋の性格上、宿泊希望者を断ることが出来ず、区画以上に詰め込んで寝させられる可能性を示唆していたのだが、明けてみれば結局、荷物類は全部廊下に出してしまった以上、大部屋にはあと1人分は余裕で布団を敷けるスペースを残して打ち止めとなった模様である。西日本のハイカーの多い山域の山小屋には何と無しにゆとりを感じるのは、ただタイミングが良かっただけなのか。富士山や五竜山荘に針ノ木小屋の悪夢の再現は暫くなく、ラッキーであった。
昨日も9時間超と、普段の2倍以上の睡眠時間故に寝過ぎだったのか、はたまた若干2,400m程度の地点で高山病なのか、深い眠りを貪れたか記憶に無いまま夜明けを迎えた。昨日の宿泊者の話によると、今日より山荘も寿司詰だったようだし、タテバイで渋滞して山荘6時半出発で山頂まで5時間を要してしまったと言う。今日も朝4時台からゴソゴソと五月蝿い。我々も5時には弁当を食べ始めたが、我々が出発しようとした頃には部屋には1,2人程しか残っていなかった。
コースタイム通りでは登り2時間半となっている。昨日立ちはだかった鬼岩城は今日は笑顔を見せるだろうか。多少、時間が掛かっても、天気さえ回復するならば渋滞は耐え忍ぼう。濃厚な朝靄に若干の怯みを覚えたものの、標高を上げるに連れて次第に空は明るみを増しているように感じた。然し、今回の企画も今日こそは充実した山をと目論んでいた座氏が、途中で膝の故障を訴えて早々と脱落してしまった模様である。無理は禁物である。歳を取ろうが山は逃げない。山頂を目前とした撤退には英断が必要である。
アントニオの足並みは可也軽やかになっていた、と思っていた。昨日中々寝付かれずに居たものの、十分横にはなっていた筈だ、と思っていた。5時少々過ぎに山荘を出たとは言え、既に数多のハイカーが先発していた。大抵は我々より登速は劣って居た。直前の中高年夫婦も私の煽りに気付いていながら、中々道を譲ってくれそうにない。一服剱を過ぎて下って再び前剱へ登り返そうと少々進んだ地点で、浮石注意の看板の直後、幅広となった道脇から追い越そうとした其の時であった。
次の瞬間、

天地が、回った。

頭が重力に従って、山頂でなく麓側を向いていた。腰が岩に当たってバウンドしたのか、気付くと頭を支点にうつ伏せに回転していた。

止まった。
一人、バックドロップ。それも、蝶野が小橋戦で見せた、急角度のエゲツないあれだった。やってしまった。だが、生きていた。痛い。が、生きていた。天地が回った。が、生きていた。頭を打った筈だ。然し、腰の方が遥かに痛いと感じた。が、生きていた。
何故生きていたのか。一服剱までで十分体中の筋肉も解れていたのだろうか。幾度となく、学生時代の柔道部の練習中に頭から畳に衝突しても何故か頭部に苦痛を感じず、肩に痛みを分散させていた。良く止まったと思う。何処までも転げ落ちてもおかしくはなかった。5,6mくらいで済んだのだろうか。痛い。だが、生きていた。何故生きることが出来たのか。何時の間に俺は強靭になったのか。腰と脛には可也の痛みを感じるが、未だ未だ歩けるのが不思議だった。やがて後から追い付いた枚氏に始終を話すと、湿布を持参しているとのことで腰に貼った。事故から数分経過して実は脛にも痛みが存在したことを忘れてしまい、ううむ、何処か打った筈だ、だが思い出せず、結局腿だったのではないかと結論に達してもう一枚頂戴した。矢張り俺の体は馬鹿なのか。馬鹿で幸いである。
馬鹿は周囲に憚られることなく、前剱を目指して突き進んだ。登るに連れ、風がガスを運び去って行った。西には月が白い。日の光が呼んでいる。既に剱の過酷さは体を持って体験した。鬼岩城の頭部がはっきりして来た。もう怖いものはない。
前剱を過ぎ、道は険しさを増した。徐々に先行く者が速度を大幅に落として行くため、詰まってしまう。途中、ブロッケン現象も鮮明なのが確認されたが、残念ながら今回は全く興味が涌かぬ。いち早く渋滞を抜けたいのだ。ガイドブック等で脅しを振っ掛けられたカニのタテバイは目前だ。老々男女が滞っている。老人叱るな行く道だ。普段から3点支持が出来ていれば全く怖い物はない。此処より十二ヶ岳の鎖場の方が数段大変だったかと思う。距離的には一瞬ではあったものの、妙義は金洞山手前の鎖場に比べたら其の角度に全く恐怖心が涌かぬ。確かに上記2例を経験していない者にとっては歯応え十二分であろう。だが庵にとってはone of themでしか、ない。
タテバイをクリアしてからも鬼岩を巡らされながら、山頂には7時半過ぎに到達した。雲海である。雲海の上に顔を出しているのは、大汝山、槍ヶ岳、穂高連峰の一部、裏銀座の極一部程度であろうか。乗鞍や御嶽も槍の向こうで必死に雲海を足掻いているかも知れぬ。日本海側には入道雲が、未だ夏を名残惜しんでいた。光量は将に夏であった。標高は若干2,998m、アントニオの指先は3,000m級だ。成る程、是が剱か。未だ西空には真白な月が、青空に色を薄めつつ、水没寸前の足掻きが如くキャンバスの一員としての地位を留めて浮かんでいた。この雲海を歩けたら、さぞかし痛快なことであろう。人は危険を承知で剱を目指す。そう言うものだ。登れば判るさ。大海原の下に難しいこと汚いこと忘れたいこと、皆置いて来た。鬼岩の上は楽園であった。鬼は何でも、知っていた。
さて、問題は帰路である。登りが急であろうが、今日のアントニオが如く反り返って逆回転するケースは稀であろう。下りは怖い。鬼は何時か、見離すのだろうか。カニのヨコバイにはタテバイを凌ぐ行列が待っていた。ゆっくり渡れば怖くない。カニのヨコバイを過ぎても中々速度の上がらない直前の3人組みが恨めしい。何度もプレッシャーを掛けていることは彼らの眼中に入っている筈なのだが。特に2人前の者、ストックを上向きにしてカバーもせず其のままザックに突っ込んでおり、彼の直後を歩いていて下手に前に崩れると串刺しは免れない。ストックを持つ物として最低限のルールは守るべきだ。守れないならストックに頼るな。頑固な3人組みの隙を虎視眈々と狙い、漸く2人目が上着を脱ごうと立ち止まった辺りで一気に追い越した。自分のペースで下れないと逆に疲労を溜め込んでしまう。今回の追い越しは無理を極力抑えたが、無理な追い越しは往路の庵が如き惨事を招きかねない。混雑期の山は矢張り避けるべきか。
前剱も過ぎると割とレーンも広く、追い越しや擦れ違いも難儀ではなくなった。そうか、この辺りだな、往路で転んだのは。下りは慎重に、慎重にと思いきや、誰か追っ手が来る様だ、譲るか先を行くか、迷いのうちに---
また、やってしまった。

一人雪崩式低空ブレーンバスター。
それも、ダイナマイトキッドばりの低空高速バージョンそのものであった。今回はギャラリーが複数存在した。本人以外の方が身も捩れる思いだったかも知れぬ。また天地が逆転した。矢張り脳味噌が重力に従って麓を向いたが、瞬時に回転して左腕で大きく受け身を取り、また止まった。良く止まったものだ。やっちまった。今回も死ぬかと思ったのだが、結果としては「嗚呼、またやっちまった。いてぇ〜」程度であった。骨折もしていないだろう。左腕の打撲と擦り傷以外、何故大きなダメージを被らなかったのか。俺は何物なのだろうか。庵も剱の転がり、との諺は永遠に語り継がれるだろう。剱を舐めていてはいけない。其の真骨頂がカニのタテバイやヨコバイにあると思ったらそうとも限らない。何故、未だ生きているのか。直後ろを歩いていたハイカーも怪訝そうに心配の声を掛けてくれた。其の他、一人ブレーンバスターに対するギャラリーは総勢5,6名と言ったところだったか。この惨事が他人に降り注いでいたら、絶命も免れなかったかも知れない。山の怖さを見せ付けてしまった。
もう、急ぐな。元来、ゲーセンのゲームの自機は3機までであった。3機目以降は、ない。野球でも2アウトだ。もう一度転べば、即ちゲームオーバーである。多少の時間超過など構わない。命は惜しい。此処まで辛くも生き残ったことを山の神に感謝しつつ、普段より速度を下げて下山を進めた。一服剱に到達すると、目撃者が心配そうに声を掛けてくれた。多分アントニオ以外が同じ状況下に置かれたら、死ななくとも間違いなくヘリ沙汰であっただろう。体が未だ受け身を覚えていた。伊達な柔道家ではなかったのだ。皆さんも気をつけて下さい。
やがて下り飽きた頃に剱山荘に到着した。普段であれば紛う事無く麦茶を所望していたであろうが、今日は魔が差していた。多分今飲んでも酔わないであろうが、今日に限って一度酔ってしまえばゲームオーバーは必至かも知れぬ。心を鬼にして目をカッと見開き、麦茶の変わりに涙を飲んだ。山荘へ置いた荷物を回収し、大人しく混じり気のない水で暫し喉を潤した。
剱山荘からは登りである。確かに山荘まで下り飽きたとは言え、登りも辛いのは確かだ。このアントニオをして、合計5人程に道を譲らざるを得なかった。強打した腰の影響で右足を大きく振り上げることが困難になっていた。スピードも出ない。勿論腰は未だ痛む。コースタイム1時間半の剱御前小舎までの登りが永遠に感じられた。小屋が見えない、見えない、未だ見えない、、、登っても登っても、我が暮らし、楽にならず。
悶え苦しみながら到達した剱御前小舎にも未だ麦茶を所望するには早計との神の御告げが聴こえて来た。幻聴ではなかろう。剱御前小舎からヘリ沙汰では、アントニオ襲名者として恥ずかし過ぎる。此処まで命を落とす事無く至れたことを神に感謝し、通常比65%程度の歩速で雷鳥沢を目指した。雷鳥坂はもう前のめりに崩れる程の傾斜ではない。然しブレーンバスターは忘れた頃に仕掛けられる。雷鳥平の天場は手に取る様ではあったが中々距離は縮まらなかった。急ぐべからず。もう消化試合であろう。あの奥に見える建物は山小屋だろうか。生麦茶はないか。あれば真っ先に飲ませて頂こう。もう雷鳥沢まで下って来れば、神の許しも請えるであろう。生麦茶、生麦茶、、、怨念は脳髄を出発して胃袋から体中を巡り、五感は全てあの木造小屋を麦茶と見立てていた。懸念としてはあまりにも古そうな木造小屋であるから、常温缶麦茶しか用意していないことであった。其れだけは避けねばならない。ああ〜、泡の流れの様に、穏やかに、沢は麦色に染まるだけ。麦に病んで、泡は雷鳥沢を駆け巡る。おお雷鳥沢は緑、草の麦、泡が吹く。ただただ腹も減り、喉も渇き、麦茶を欲していた。麦茶小屋は目前であった。
沢を木橋で渡って小屋へ登り返すと、、、どうも様子がおかしい。地図を確認すれば山小屋ではなく天場事務所となっていた。生麦茶の確率は0.00004%に過ぎない。ムギチャーゼが枯渇しており、あと100m程度の距離にある小屋に其の真偽を確認し行くだけのエネルギーが不足していた。それより、西側の視界に入る、右手のロッジ立山連峰若しくは左手の雷鳥沢ヒュッテのどちらか若しくは双方には必ずや生のサービスが存在するであろうとの読みがあった。此方の生麦確率は98.57%を越えていた。どちらでも構わない。其れが生麦茶であるならば。ロッジの方が何となく山家に相応しくなさそうな雰囲気を醸し出していたため、ヒュッテを目指すことにした。但し、余りにもムギチャーゼが枯渇しており、ヒュッテで万が一の事があれば餓死は免れないであろう。
普段なら何でもない坂道、観光客が当然かの様に上っていく坂道に命懸けであった。枚氏に先回りして確認して貰う必要があるくらい、瀕死の状態であった。ヒュッテは意外に大きく、やっと玄関を探りあぐねていた枚氏からGoサインが出た。麦の光が見えた。
ヒュッテのバルコニーのベンチに腰を降ろし、待望の生麦茶を胃に注ぐ。晴れ渡る空、染み渡る胃。見上げると、剱御前小舎が遥か高所に確認された。其れも其の筈だ。標高差にして900mも下って来たのだ、しかもたったの1時間強で。ううむ。先ず最初に感じたのは、失った位置エネルギーへの勿体無さであった。何故ならば室堂ターミナルの標高は2,400mであるから、また500mは登り返さねばならないのだ。雷鳥沢、何故お前はそんなに低いのか。もう少し頑張って室堂に肩を並べようと努力はしなかったのか。努力をしたら沢でなくなってしまうからか。室堂ターミナルまでの道程が消化試合のようで其れでは済まされない気がして来た。生麦茶で蘇った胃力を振り絞り、ヒュッテのバルコニーを辞去した。
地獄谷には停滞を続ければ死を招くかも知れない程硫黄臭が充満していた。嗚呼、温泉卵が食いたい。我が空腹に硫黄臭は訴えていた。空腹時にコンクリートの山道、しかも登り坂がみくりが池温泉へと続く。何度途中で呼吸を整えたことだろうか。何でもない登りで、アントニオは空腹に耐えかねていた。普段のアントニオであれば荷物が20kgを超えていようが難儀を覚えることのない上り階段に、喘ぐ観光客の気持ちが少しは理解出来たかと思う。
やがて室堂ターミナルで座氏と合流する。一服剱前に断念しつつもみくりが池温泉で疲労を回復し、暇潰しに浄土山にアタックしたとのことだった。腹は減ったが出来れば温泉まで到達してからゆっくりしたく、バス乗り場へ急行した。
往路と異なりゆとりのある乗車率でバスは再び狭いトンネルへと突入した。トンネル内の僅かな2車線区間にて下り列車と交換したのだが、連休最終日の午後に今から室堂方面を目指す者は皆無に等しかった。因みにトロリーバスは法律上電車の仲間である。列車、或いは電車と呼ぶ事に不都合はない。トンネルは交換部分を除いて単線になっている。
さて、商売上手の立山貫光株式会社の仕業か、接続のロープウェイの便が悪く、つい土産物を掴まされてしまう。表の露店ではジャガイモとサツマイモの揚げ団子が強烈な秋波を送り続けたため、仕方なく奥で生麦茶を所望してスナックタイムと相成った。30分待ちだとの係員の説明だが、意外と待たなかったように思うのは気の性、否、芋の性か。
続くケーブルカーにも急いで行列に並ぼうとすると、蒟蒻を竹輪状に刳り抜いて中に牛蒡を通して溜まり漬けにしたこんにゃく鉄砲が我々の前に立ちはだかった。激美味である。何処にでもありそうな組合せだが、信州漬物業界のマツキヨ、ミヤキヨこと宮下清志商店に商品データベース検索依頼をしたのだが、残念ながら店には置いてないとのことである。立山貫光株式会社が製造特許を握ってしまっているのか。4本入りで650円である。10袋なら袋当たり600円に負けてくれるとのことではあるが、踏ん切りをつけるのは難しく、悩んでは試食品に手を出し、悩んでは試食品に手を出しているうちに、我々の乗るべくケーブルカーへの待ち行列が生成され始めたため、涙を飲んで断念した。行列の反対側にホタルイカの漬物数種が並んでおり、塩辛のみを取り急ぎ摘んだのだが是また絶品であった。此方は1箱1,050円である。如何なものだろうか。ううむ。
着席出来たケーブルカーを降り、未だ観光客の減少を予想だにしない黒部ダムを歩く。東日本側から黒部湖へ向かう場合は大抵乗車を免れない関西電力トロリーバスであるが、臨時便の出る様子もない。立山方面からの客に黒部湖ピストン客を大吸収して乗客も膨れ上がる筈だが、増便がない以上、1便毎に寿司詰状態であった。我々は黒部湖散策を適当に切り上げ、改札のすぐ後ろで待っていたため余裕で着席出来たが、着席出来ない者は可也悲惨な様子だった。
トンネルを抜けると扇沢である。ターミナルには土産売り子が試食品を差し出しながら獲物を狙っていたのだが、扇沢には残念ながらホタルイカもこんにゃく鉄砲も存在せず、アントニオの胃を得るには彼等の更なる営業努力が必要であった。
着替えて休部号に乗り、大町温泉郷を目指す。午後3時過ぎの温泉郷は、座氏曰く時間帯に拘らずとのことだが、空いていた。大抵捻挫や打撲の直後は冷却が必須と謳われているものだが、4年前の尾瀬でも燧ヶ岳下山時に墜落して右足を捻挫して数時間引き摺りながら山ノ鼻小屋で態々焚いて頂いた風呂には浸かったことだし、今回も汗を流すに止まらず、結局擦り傷が可也染みることも覚悟で露天に身を沈めた。薬師の湯の露天は2槽もあるとは今迄気が付かなかった。冬よりこの時期が空いていて気持ち良く浸かれるようだ。
昼飯を食わなかった面々は、夜食選考に当たって、久々の焼肉の動議であった。豊科ICまで車を転がしながら、ホームセンターで駄賃を使ってガソリンの割引券を入手する。然し、割引券の適用されるスタンドはセルフで105円、其れの3円引きである。確か、た〜しか、先日の諏訪SAでの給油時にはリッター101円だった筈だ。折角ホームセンターに寄ったのだが、我が記憶を優先させて焼肉へ直行した。豊科ICから目と鼻の先のカルビ大王は夕方から肉臭が充満しており、戦闘意欲を大いに掻き立てられた。網の油加減などが某有名チェーン店に劣るなどと文句を言いながらも、千切っては焼き、千切っては焼いた。瞬く間に肉海原は我々の胃の藻屑と消えた。石焼ビビンバが如く、石焼蒲焼鰻御飯が是また美味であった。カルビ大王は見参した。
中央道は我々の時間潰しにも拘らず、何時もの小仏トンネル渋滞を圧縮する素振りを微塵も見せてはくれなかった。今日は夏からの経験を凌ぐ長さで、大月IC付近まで続いているとのことである。仕方ない、今日ばかりは降りて見るか。大月ICで降りてR20を進む。御馴染みのほうとう屋も通過し、R139に逸れ、更に秋山温泉方面へと抜け道を探る。似たような車も多いようで、他県ナンバー車が連なっていた。細い夜道に対向車の存在確認も骨が折れるので、先行くプリメーラをペースメーカーとしてぐんぐんと距離を稼ぐ。そうだ、野球はどうなっただろう、とカーステレオのチャンネルを捻ろうも巨人戦しか放送されていない。すゎ、デーゲームだったのか、訝りながら報道番組を漁っていると、昨日マジック2を横浜と自らの力で払拭したとのことである。遂にやったか。念願の甲子園の舞か。星野監督が甲子園で舞う数時間前、既にアントニオも剱で2度も舞っていたのであった。道志の山間の県道に雨は降り頻った。山道は長かった。星野監督、良かったね。
相模湖ピクニックランドへ抜け、R412は果たして中央道からの流れ組みで矢張り交通集中状態であった。其の滞りも城山で堰を切ったように流れ出し、上溝、淵野辺へ至ればR16は意外と空いていた。確かに既に22時を回っている。雨の中、R16を急げば、庵庵まではあまり時間も掛からなかった。

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今日で日本百名山50座目を制覇となった。折返し地点である。さて、庵日本百名山史は此処からどのように続いて行くのか。

(完)

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付録:

山旅アドバイス
・カニのタテバイ、ヨコバイは渋滞するので計画は慎重に。
・ヨコバイは特に初心者には厳しいかも。
下をあまり見ないこと。
・タテバイ、ヨコバイではストックは邪魔物にしかならない。
収納方法も考えておくこと。
・一服剱を下って前剱側に登り返す辺りで登り下りとも転んだ。
急ぐな。命は一つ。ゆとりを持て。
・みくりが池温泉は相部屋でも1人1ベッド。予約がないと
断られる可能性あり。
・剱山荘は、混雑が激しくない場合は午後3時以降で1時間程度
お風呂タイムあり。石鹸シャンプー不可。
・ロープウェイなど、混雑状況によっては計画通りの列車に乗れない
可能性あり。ゆとりのあるプランニングを。