北アルプス・燕岳(ツバクロダケ)登山日記)

【秒殺】
四駆車が、"下界"へ向けて動き出した次の瞬間、気絶していた-----
時は花金、然れども、成瀬の駅は桃売りの声が幽かに響くだけで、喧騒らしい喧騒もなく、待ち合わせには最適であった。一人ひとり、この先の苦難を予想だにせぬ兵どもが、いつもより早めに会社を切り上げて集ってきた。やはり仕事が長引いて遅れるものあり、秋の北アルプスに半袖しか持たずに挑まんとするものありて、悪戯に予定時刻は過ぎ去っていく。
睡眠時間を稼ぐために、車を八王子バイパスへと滑らせた。まずは順調な滑り出しだ、、、、、と思っていた、、、、、そして一台、

中央高速の入り口で、料金を払っていた。

その車のヘッドライトは、新宿の看板を煌煌と照らしていた。悲しい方角だった。
敗者復活の呪文を料金所のオジサンに唱えてもらい、車は軽快に北を目指していた。さすがに今日は花火が上がっていない。
スーパーナビがその手腕を如何無くを発揮、松本ICを降りた車はさらに軽快に農道を飛ばしていった。沿道のコンビニは、駐車場を広く構えながら待てど、訪れるのは観光バスでなく虫であった。つづら折りを直走り、中房温泉にようやくたどり着いた頃には時計の針は既に3時を回っていた。
予定通り6時頃には目を覚ましたものの、幸せそうに眠るその面影に、秒殺の2文字はすでに過ぎっていた-----
笑顔の魔枝一等兵ホームシックか?
結局、7時になってようやく動き出した隊員は、中房山荘の脇をかすめて進んでいく。いきなり立ちはだかる急階段。「燕(ツバクロ)はきつい」の評判が見事に。それでも早朝の爽やかさと若さで難を凌いでいった。
残暑を彷彿とさせる木漏れ日が、間違いなく汗を助長していたが、晴れているに超したことはない。第1ベンチ、第2ベンチ、第3ベンチと休憩所に木を切り倒したベンチが並んでいた。普段なら、仕事を始めてようやくエンジンが滑らかになる10時前、遥か彼方に雲の上に富士が見えた。4番目の休憩所である富士見ベンチ。ここらからほくそ笑まずにはいられないほどの展望が広がりはじめた。
やがて、ケーブルの終着、合戦小屋に。ここまで地上から物資を運んでいるため、この小屋や山頂の燕山荘も、食料には事欠かない。合戦小屋名物合戦うどんにも惹かれながら、ここで食うとうめー、ぐわー、ひゅーっ、っとゲームオーバーになりかねないため、涙を飲んで登り続けた。
四季と空槍のある四季
もう、ここからはほぼ360°の大パノラマ一人占め。下界の皆様には申し訳ないほどの展望である。山荘や山頂も見え始め、槍ヶ岳などの北アルプスの山々の姿に酔いしれるしかなかった。あまりの絶景を前にしてメンバーは大ハッスル(死語)状態である。ファイアーポーズを決める者あり、雷鳥のお膝元で南斗水鳥拳の奥義を見せる者あり、永吉を気取る者あり。雲間から下界も見える。束の間の神変化。僕の前に雲はない。僕の後ろに雲はできる。
空のマジック 山頂の上にだけ、灰色がかった雲がかぶっていた。きっと、ドラ○エの最終ステージなのだろう。800ポイントのダメージを与えた後に、きらりと光り、

「グォングォングォン・・・シューーーーッ、ティロリロリー!」

と真のボスキャラが登場しそうな気配であった。

デジカメや一眼レフを前にポーズ取りに興じていたつけで予定を1時間オーバーしてようやく燕山荘についた。ここからの見晴らしもまた格別である。もう少し植物図鑑を眺めていたら、もっと多くの草花に出会えたかもしれぬ。もう少し地図帳を眺めていれば、もっと多くの山々を見渡せたかもしれぬ。今は、ただの「木」や「山」でしかなくもそんなことはどうでもよかった。ただひたすら爽やかでただひたすら鮮やかでただひたすら美しくただひたすら壮大だった。そんななか、野口五郎岳も顔を覗かせていた。ただ、重成岳は見えなかった。無念なり。
天、掌握したり!十人十ファイアーポーズ
飯時ではあったが、ここで食うとやはり山頂を前に気絶してしまうだろう。空腹を押さえながら、荷物はあらかた山荘において、山頂を目指す。
清々しき二人
標準所要時間は30分である。ザックをおいて身軽になった私は迷うことなく他の隊員を振り返らず鬼のように走り始めた。やはり空気が薄い。息も絶え絶え、よちよち、花崗岩をぬっては進む。ここにラーメンさえあれば・・・・・・・・・

12分45秒83。

世界新記録(=主催者発表)で幕を閉じた。
天と空が交わり、空の真下にいた。
人それぞれの燕山頂山頂碑
天空の腕立て2763mの山頂で飲む鴨居の水は、鴨居の味がした。カメラマンが到着したので、仕方がなくプッシュアップを始めた。もう空気の薄さも関係ない。しばらくの間、私の頭は、標高2763.9mと2763.0mの間を往復していた。この間、私の両肘は、2763.45mと2763.0mの間を同時に往復していた。あとで写真を見て驚いた。腕立て伏せ下に広がる雲間から山々が見える。私の腕立て伏せは自然と同化していた。そして9月19日の一コマを形成していた。
花崗岩の舞台に興じつつ、燕山荘に戻ったのが13:30。本来なら下山開始30分後である。しかし、やはり空腹にはかなわぬ。思い思いの昼食を頼みはじめた。
地球は青かった
♪○ンして、カレーライス、
○ンして、カレーライス♪
私のカレーはご飯といいっしょー♪
と口ずさみながら、いや、
(きっと、そのへんのレトルトカレー程度だろう)
とあまり期待しないで待っていた私の目の前に、チャツネの入った昔なつかし風味の、甘口カレーが立ちはだかった。私は、♪珍して・・♪を口ずさんだことを深く後悔した。その後悔のあまりに涙が迸りそうなほど、2700mのカレーは美味であった。推定2700.002mの高さにあったジャガイモもそれはそれは柔らかかった。甘さが疲労を和らげていく---
そして、私はカウンターに並んだ。
「生大」
店員は狼狽を隠せなかった。
「生大ください」
また、ひるんだ。間があった。
「な、な、生ビールの、だだだいジョッキですね^^;;;;」
こうして、何事もなく、その左手は大ジョッキが握られていた。
2700mの一番搾り。
一口飲んで味がわからなかった。二口飲んで目眩がした。三口飲んで気焔を上げた。
日差しは強いが心地よい風が吹く。大ジョッキにカレーライス。もう、あとは、
畳が一枚あればいい。
呑気に構えているうちに下界の雲行きが怪しくなってきた。予定を1時間40分ほどオーバーしてることもあり、睡眠を惜しみつつ下山を始めた。
先ほどの眺望はなんだったのだろう。
富士山も見えない。ガスだらけ。登りの疲労も視界の狭さも今の疲労感を助長し、登りより遥かに所要時間を縮めながらも、とても長く感じられた下山行。
それでもかなりのペースで17時半前には何とか駐車場に戻ることができた。
ほっといても硫黄が香る中房温泉というだけに、もちろん山荘近くにも風呂があった。菩薩の湯という。これがまた凄い。露天で脱衣所がない。
メンバーのクレームもあり、やはり下界で湯を見つけることになった。
四駆車が、"下界"へ向けて動き出した次の瞬間、気絶していた---
彼女はメンバの中で唯一のジモティなのである。下界を案内してもらわなければならなかった。それにしても速かった。秒殺だった。
やがて案内してもらった「ファインビュー室山」はジモティでごった返すほどの人気を誇っていた。500円で露天を含む5種類程の浴槽がある温泉で、とてもお買い得であった。
さて、食いである。自ら秒殺した彼女の実家の別宅が空き家になっていたので居候になる。幸い車で3分もかからないところにあるジャスコは夜9時までの営業であった。思い思いの食料と飲料を買い込み、別宅へ向かった。
自ずと、焼肉支度班と会場待機班にわかれてしまった。会場待機班は手持ち無沙汰に部屋に有るものを所構わず物色してゆく。彼女からテレビはアンテナがつながっていないと聞いていた。それでも手持ち無沙汰に我慢がならぬ面々はビデオデッキに手を出してしまったのである。TV棚には音楽ビデオなどが並んでいた。そう、ビデオカセットをデッキに差し込んでしまったのである。そのとき-----
何も起きなかった。
やはり、TVが壊れているのだろう、なかなか画面が出てこない。諦めて、カセットを取り出そうとした時だった。そのとき-----
カセットが脱腸した。
そんな所に彼女がやってきて、「あ、ビデオだめだめ、壊れてるから。映んないでしょ?」事態は彼女の想像を遥かに越えるほど深刻になっていた。「いや、ちょっと大変なことになってしまったみたい」一隊員が辛うじて所持していたサバイバルナイフでデッキカバーをこじ開けテープを取り出し、脱腸オペはなんとか終了した。
我々は、生々しい、くしゃくしゃの傷痕を残してしまったテープをただひたすら摩ってあげるしかなす術がなかった。気づくと、ビデオデッキの側に、埃を被りながら脱腸の形跡のある別のテープが佇んでいた-----2度あることは3度ある。数ヶ月後、彼女の義兄あたりが、脱腸現象を目撃するのが目に浮かんできた。
焼き肉食っては飲んだ。彼女の親からの差し入れの米と野沢菜はとても美味しかった。こうして安曇野の夜は更けてゆく-----
真空腕立拳、炸裂!
日曜日は朝から暑かった。それでも6時から元気に喋るものあり、10時には別宅をあとにした。
安曇野ワイナリーに向かう。彼女の目的は巨峰ソフトクリームである。ワイナリーということで試飲コーナーもあった。もちろん私はグランドスラムを達成した。また、ここの巨峰ソフトは談合坂SAのジェラート風のとは違い、ミルキーな美味しさであった。懲りずに近くにある地ビールブルワリーにも顔を出す。さすがに試飲コーナーは発見できなかったものの、野沢菜やきゅうり、レタスの漬物はすべて制覇した。
午後はガラス工房に行く、ということだが、彼女が道を間違えた。そのついでに蕎麦家が見つかったので立ち寄ることにした。「常念」という。常念岳が由来であろう。所謂民家のような蕎麦家は昼時ということもあり、満席だった。
卓にある雑記帳には、4、5度ここに来た、という走り書きが多く目に付いた。蕎麦はやはりうまかった。98.9.20とMMCのサインも入れておいた。山葵大王に逢いたい。
さて胃袋も膨らみ、ガラス工房を目指す。一日かかる体験細工は今回は見学にとどめ、所狭しと並ぶ数々のガラス工芸の芸術に見とれていた。ビールジョッキやワイングラス、果実酒を入れる容器が気になったが、さすがに割りかねないと思い、購入を断念した。工房外の売店では味噌ソフトクリームがあった。濃厚な味噌の味がした。とてもカロリーが高そうだった。
2時を軽く回っていたので、2日目の温泉はやはり涙を飲んで断念し、帰路に就く。予定に組み込んでおいた談合坂SAのほうとうは出汁がぬるかった。許すまじ。ほうとうはやはりあつあつ出汁に限る。10/18にリターンマッチを決意した。
目立った渋滞に巻き込まれることなく、8時頃成瀬駅に到着して解散の運びとなった。
月曜日になった。
差し入れでもらった野沢菜の残りと舞茸をクーラーバックに入れて持ち帰っていた。今日のおかずは野沢菜と舞茸のたまり浸け。満足だった。とくに舞茸はとても旨い。宮下清志商店株式会社製造である。次回からは、製造元指名で土産を買ってみよう。彼女の母上が、松本駅の売店にいるかもしれない。
コギャルA「ねーぇー、「清志」買ってこうよー」
コギャル見習いB「えーナニナニ、キヨシって?」
A「清志も知らねーのかよ、だっせー」
とか、
オバさんA「あらやだ、これ「魅椰死汰」って書いてある。間違えるところだったわ」
オバさんB「いやーねぇー、紛いものがおおくて困るざますね、オーホッホッホー!」
などという会話が松本駅にこだまするのもそう遠い未来ではない。